国家が金融機関を救済するのは資本の論理に矛盾する。国家統制経済の末路である。




1998ソスN10ソスソス22ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

October 22101998

 秋霧のしづく落して晴れにけり

                           前田普羅

辞麗句という言い方がある。もちろん俳句の「句」を指しているわけではなく、よい意味に使われることのない言い方だが、この句を読んだ途端に、私はこれぞ文字通りに率直な意味での「美辞麗句」だと思った。とにかく、しばし身がしびれるくらいに美しい句だからである。光景としては、濃い秋の霧がはれてくるにつれて、上空の見事に真青な空が見えてきた。周囲の霧に濡れた草や木々はいまだ雫を落としており、そこにさんさんと朝日があたりはじめたというところだろう。この句が美しくあるのは、なんといっても「秋霧の」の「の」が利いているからだ。「秋霧のしづく」を落としている主体は草や木々であることに疑いはないが、しかし、この「の」はかすかに「秋霧」そのものが主体となっている趣きも含んでいる。つまり、この「秋霧」はどこか人格的なのであり、くだいていえば「山の精」のような響きをそなえている。そのような「山の精」が雫を落としている……のだ。舞台の山も登山などのための山ではなく、山国で山に向き合って生活している人ならではの山なのであり、山に暮らしている人ならではの微妙な、そして俳句ならではの絶妙な言葉使いが、ここに「美麗」に結晶している。『定本普羅句集』(1972)所収。(清水哲男)


October 21101998

 汽罐車の火夫に故郷の夜の稲架

                           大野林火

夫(かふ)は、汽罐車の罐焚きのこと。稲架は、刈り取った稲を乾燥させるための木組み(ないしは竹組み)のことだが、これを「はざ」と呼ぶのは何故だろうか。私の田舎(山口県)では、単に「いねかけ」と言っていたような記憶がある。稲城という地名があるが、この稲城も稲架のことである。ところで、この句は身延線で汽罐車を見た際のフィクションだと、林火自身が述べている。「火夫は、まだ若い。いま汽罐車はその故郷を通過している。沿線には稲架が立ち並び、その数や厚みで、今年の稔りがどうであったかはこの火夫にすぐ知られよう。そこには父母・兄弟の手掛けた稲架も交っていよう。罐焚きの石炭をくべる手に一段と力の入ったことであろう。この句、そうした空想のもとになっている」。空想にせよ、この国の産業が農業ベースから外れてきはじめた頃(1964)、生まれ育った土地を離れて働く者の哀感がよく伝わってくる。夜の汽罐車を、走らせる側からとらえた目も出色だ。『雪華』(1965)所収。(清水哲男)


October 20101998

 一本のマッチをすれば湖は霧

                           富沢赤黄男

は「うみ」と読ませる。霧の深い夜、煙草を喫うためだろうか、作者は一本のマッチをすった。手元がぼおっと明るくなる一方で、目の前に広がっている湖の霧はますます深みを帯びてくるようだ。一種、甘やかな孤独感の表出である。と、抒情的に読めばこういうことでよいと思うが、工兵将校として中国を転戦した作者の閲歴からすると、この「湖の霧」は社会的な圧力の暗喩とも取れる。なにせ1941年、太平洋戦争開戦の年の作品だからだ。手元の一灯などでは、どうにも払いのけられぬ大きな壁のようなものが、眼前に広がっていた時代……。戦後、寺山修司が(おそらくは)この句に触発されて「マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや」と書いた。寺山さんは、日活映画の小林旭をイメージした短歌だとタネ明かしをしていたが、それはともかくとして、相当に巧みな換骨奪胎ぶりとは言えるだろう。ただし、書かれている表面的な言葉とは裏腹に、寺山修司は富沢赤黄男の抒情性のみを拡大し延長したところに注目しておく必要はある。寺山修司の世界のほうが、文句なしに甘美なのである。(清水哲男)




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