横浜優勝に向けての某誌との打ち合わせ。38年前は学生で、60年安保の年だった。




1998ソスN9ソスソス24ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

September 2491998

 颱風が逸れてなんだか蒸し御飯

                           池田澄子

生俳句の伝統を尊重する人には、この「なんだか」という表現に引っ掛かるだろう。つまり、この「なんだか」の中身を明らかにするのが、写生俳句の基本だからである。でも、一方では現実的に「なんだか」としか言いようのない事象もたくさんあるわけで、幸いに逸れてくれた颱風(たいふう)なのだが、影響でもたらされた「なんだか」どろんとした蒸し暑さは、このように表現されたことではじめて明確になっている。心象的には、この句も写生句なのだ。それにしても「蒸し御飯」とは、恐れ入った。なつかしくも巧みな比喩である。いまどきの冷えた御飯は電子レンジでチンする家庭が多いのだろうが、昔はどこの家庭でも蒸し器にかけて温め直したものである。温まった御飯は水気を含んでニチャニチャとしており、固い御飯の好きな私には「なんだか」お世辞にも美味とは言えない代物だった。蒸し方の巧拙もあるのだろうが、たいていは句のように、鬱陶しい感じのする味がしたものだ。今年は、ここに来て颱風がポコポコと発生しはじめた。逸れてほしいが、「蒸し御飯」状態も御免こうむりたい。『いつしか人に生まれて』(1993)所収。(清水哲男)


September 2391998

 梨を剥く一日すずしく生きむため

                           小倉涌史

の場合の「一日」は「ひとひ」と読ませる。「秋暑」という季語があるほどで、秋に入ってもなお暑い日がある。残暑である。今日も暑くなりそうな日の朝、作者はすずしげな味と香りを持つ梨を剥いている。剥きながら作者が願っているのは、しかし、体感的なすずしさだけではない。今日一日を精神的にもすずやかに過ごしたいと念じている。「すずしく生きむ」ために、大の男がちっぽけな梨一個に思いを込めている。大げさに写るかもしれないが、こういうことは誰にでもたまには起きることだ。そんな人生の機微に触れた佳句である。ところで、作者の小倉涌史さんは、この夏の七月末に亡くなられたという。享年五十九歳。このページの読者の方が知らせてくださった。小倉さんとは面識はなかったが、ページは初期から読んでくださっており、検索エンジンをつけるときのモニターにもなっていただいた。もっともっと元気で「すずしく生き」ていただきたかったのに、残念だ。心よりご冥福をお祈りします。『落紅』(1993)所収。(清水哲男)


September 2291998

 きぬぎぬの灯冷やかに松江かな

                           阿波野青畝

くはわからないが、忘れることもできない句だ。わからない原因は「きぬぎぬ」にある。「きぬぎぬ」の意味は「男女が互いに衣を重ねて共寝した翌朝、別れるときに身につける、それぞれの衣服」のこと。あるいは、その朝の別れのことも言う。要するに艶っぽいシチュエーションで使われてきた一種の雅語であるが、さて「きぬぎぬの灯」とは、いったい何だろうか。何通りもの解釈の末に、私がたどりついた一応の結論は、しごく平凡なものだった。すなわち、「別れるときに身につける、それぞれの衣服」のように思える冷ややかな「灯」ということである。したがって、単に冷たい灯というのではなく、この「冷やか」にはどこか人肌のぬくもりがうっすらと残っているような、そんな冷たさなのだと思う。このとき、作者に具体的な色模様があったわけではない。「灯」は、ネオンのそれだろう。秋の松江には、一度だけ仕事で行ったことがある。町の中をきれいな川が流れており、たそがれどき、川の水にはネオンの灯が写っていた。その遠い日の情景を思い出しつつの結論となった。『甲子園』(1965)所収。(清水哲男)




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