放送マンに休みなし。それはよいとして、ゆったりした楽しみも欲しくなってきた。




1998ソスN9ソスソス23ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

September 2391998

 梨を剥く一日すずしく生きむため

                           小倉涌史

の場合の「一日」は「ひとひ」と読ませる。「秋暑」という季語があるほどで、秋に入ってもなお暑い日がある。残暑である。今日も暑くなりそうな日の朝、作者はすずしげな味と香りを持つ梨を剥いている。剥きながら作者が願っているのは、しかし、体感的なすずしさだけではない。今日一日を精神的にもすずやかに過ごしたいと念じている。「すずしく生きむ」ために、大の男がちっぽけな梨一個に思いを込めている。大げさに写るかもしれないが、こういうことは誰にでもたまには起きることだ。そんな人生の機微に触れた佳句である。ところで、作者の小倉涌史さんは、この夏の七月末に亡くなられたという。享年五十九歳。このページの読者の方が知らせてくださった。小倉さんとは面識はなかったが、ページは初期から読んでくださっており、検索エンジンをつけるときのモニターにもなっていただいた。もっともっと元気で「すずしく生き」ていただきたかったのに、残念だ。心よりご冥福をお祈りします。『落紅』(1993)所収。(清水哲男)


September 2291998

 きぬぎぬの灯冷やかに松江かな

                           阿波野青畝

くはわからないが、忘れることもできない句だ。わからない原因は「きぬぎぬ」にある。「きぬぎぬ」の意味は「男女が互いに衣を重ねて共寝した翌朝、別れるときに身につける、それぞれの衣服」のこと。あるいは、その朝の別れのことも言う。要するに艶っぽいシチュエーションで使われてきた一種の雅語であるが、さて「きぬぎぬの灯」とは、いったい何だろうか。何通りもの解釈の末に、私がたどりついた一応の結論は、しごく平凡なものだった。すなわち、「別れるときに身につける、それぞれの衣服」のように思える冷ややかな「灯」ということである。したがって、単に冷たい灯というのではなく、この「冷やか」にはどこか人肌のぬくもりがうっすらと残っているような、そんな冷たさなのだと思う。このとき、作者に具体的な色模様があったわけではない。「灯」は、ネオンのそれだろう。秋の松江には、一度だけ仕事で行ったことがある。町の中をきれいな川が流れており、たそがれどき、川の水にはネオンの灯が写っていた。その遠い日の情景を思い出しつつの結論となった。『甲子園』(1965)所収。(清水哲男)


September 2191998

 夕刊を読む秋の灯をともしけり

                           吉屋信子

の日暮れは早い。夏の間は夕刊も自然光で読めたのに、秋も深まってくると灯をともす必要が出てくる。なんということもない句だが、このなんともなさが秋の夕暮れのしみじみとした情趣をよく伝えている。作者は小説家だったから、夕刊で真っ先に読むのは連載小説だったろうか。それとも同業者の書くものなどはハナから無視して、三面記事から読みはじめたのだろうか。そんなことを空想するのも楽しい。この句は、俳句的には吉屋信子最後の作品である。1972年に、77歳で亡くなる三カ月ほど前に詠まれている。句の観賞にこの事実を知る必要はないのだけれど、知ってしまうと、句のよさが一段と心にしみてくるのは人情というものだろう。ちかごろの夕刊は余計なお世話みたいな記事が多くてつまらないが、当時はまだまだ硬派で、記事を読み解く面白さがあった。作者ならずとも、配達を待ちかねて秋の灯をともした読者は多かったはずである。昔はよかった。『吉屋信子句集』(1974)所収。(清水哲男)




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