交通安全運動。車が規則正しく走るものだから渋滞がひどい。文句は言えないけど。




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September 2291998

 きぬぎぬの灯冷やかに松江かな

                           阿波野青畝

くはわからないが、忘れることもできない句だ。わからない原因は「きぬぎぬ」にある。「きぬぎぬ」の意味は「男女が互いに衣を重ねて共寝した翌朝、別れるときに身につける、それぞれの衣服」のこと。あるいは、その朝の別れのことも言う。要するに艶っぽいシチュエーションで使われてきた一種の雅語であるが、さて「きぬぎぬの灯」とは、いったい何だろうか。何通りもの解釈の末に、私がたどりついた一応の結論は、しごく平凡なものだった。すなわち、「別れるときに身につける、それぞれの衣服」のように思える冷ややかな「灯」ということである。したがって、単に冷たい灯というのではなく、この「冷やか」にはどこか人肌のぬくもりがうっすらと残っているような、そんな冷たさなのだと思う。このとき、作者に具体的な色模様があったわけではない。「灯」は、ネオンのそれだろう。秋の松江には、一度だけ仕事で行ったことがある。町の中をきれいな川が流れており、たそがれどき、川の水にはネオンの灯が写っていた。その遠い日の情景を思い出しつつの結論となった。『甲子園』(1965)所収。(清水哲男)


September 2191998

 夕刊を読む秋の灯をともしけり

                           吉屋信子

の日暮れは早い。夏の間は夕刊も自然光で読めたのに、秋も深まってくると灯をともす必要が出てくる。なんということもない句だが、このなんともなさが秋の夕暮れのしみじみとした情趣をよく伝えている。作者は小説家だったから、夕刊で真っ先に読むのは連載小説だったろうか。それとも同業者の書くものなどはハナから無視して、三面記事から読みはじめたのだろうか。そんなことを空想するのも楽しい。この句は、俳句的には吉屋信子最後の作品である。1972年に、77歳で亡くなる三カ月ほど前に詠まれている。句の観賞にこの事実を知る必要はないのだけれど、知ってしまうと、句のよさが一段と心にしみてくるのは人情というものだろう。ちかごろの夕刊は余計なお世話みたいな記事が多くてつまらないが、当時はまだまだ硬派で、記事を読み解く面白さがあった。作者ならずとも、配達を待ちかねて秋の灯をともした読者は多かったはずである。昔はよかった。『吉屋信子句集』(1974)所収。(清水哲男)


September 2091998

 虫なくや我れと湯を呑む影法師

                           前田普羅

んでいるのは「茶」ではなく「白湯」。健康上の理由からだろうか、この頃の普羅は「白湯」を呑むことに努めていたようだ。「がぶがぶと白湯呑みなれて冬籠」の句もある。白湯だから味わって呑むのではなく、一気のガブ呑みだ。ふと見ると、壁に写った影法師も同じ姿で一生懸命に付き合ってくれている。外では、虫の音しきり。わびしいような滑稽なような、作者の文字通りの微苦笑が目に見えるようだ。ところで「影法師」であるが、光源は電灯だろうか、それともランプだろうか。大正も初期の句だから、このあたりは問題だ。どちらの可能性もある。私の好みとしてはランプの光にゆらゆらと揺れているほうが面白いのだが、実際のところはわからない。普羅の略歴を読んでも、そんなことは書いてない。古い作品は、これだから厄介だ。ただ、光源が何であれ、一つ言えることは、当時の人たちはみな、現代の私たち以上に灯りには敏感だったということである。句のように影法師に着目するのも、そのあらわれだろう。光あるところには必ず影があるというわけだ。いまは、光の氾濫が影の存在を希薄にしている。精神のありように影響しないはずはない。中西舗士編『雪山』(1992)所収。(清水哲男)




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