公的資金の、「的」が曖昧。私の理解では「の」にすぎない。公「の」資金である。




1998ソスN9ソスソス19ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

September 1991998

 かなかなや師弟の道も恋に似る

                           瀧 春一

近ある雑誌で、この句を男の師に対する女弟子の恋、ととらえた解釈を見た。確かに、いわれればそう思っても間違いではない。虚子と久女とかなんとか、すぐそういう方向に話が行く。ところが、違うのですね。この句には後書があり、そこには「水原秋桜子先生を訪問。現在の俳句観を述べ諒解を求む」とあり、その後の自註に「昭和二十二年『馬酔木』離散」とあるのだ。これはなんだ!  春一先生の秋桜子先生への訣別の句だったのだ。師を見限ったということか。それにしても「まぎらわしい」名句である。離別後、晩年になって、春一は『馬酔木』に復帰すべく石田波郷を同伴、秋桜子の元に行く。秋桜子、黙って以前と同じ序列で春一を迎えたという。いい話でしょう……。ところで、まだかなかな(蜩)は鳴いてますか?(井川博年)


September 1891998

 曼珠沙華どれも腹出し秩父の子

                           金子兜太

珠沙華(まんじゅしゃげ)は、別名「死人花」「捨子花」などとも言われており、墓場に群生したりしていて、少なくともおめでたい花ではないようだ。見るところ生命力は強そうだ(「死人花にてひとつだにうつむかず」金谷信夫)し、花の色が毒々しくも感じられるので、可憐な花を愛する上品な趣味の人たちが嫌ってきたのかもしれない。だが、それにしては昔から皇居の壕端に盛んに咲かせているのは何故なのか、よくわからない。ところで兜太は、そんな上品な趣味とは無関係に、故郷・秩父の子供たちの生き生きとした姿を曼珠沙華の生命力になぞらえている。けっして上品ではない洟垂れ小僧らの生命力への賛歌である。敗戦後まもなくの作品だから、腹を出して遊ぶ子供たちの姿に根源的な生きる力を強く感じさせられたのだろう。ここには、まだ白面の青年俳人であった兜太の「骨太にして繊細な感受性」がうかがえる。うつむいているばかりの「青白きインテリ」に対して一線を画していた、若き日の作者の意気軒昂ぶりが合わせて読み取れて心地よい。『少年』(1955)所収。(清水哲男)


September 1791998

 ネオン赤き露の扉にふれにけり

                           木下夕爾

町の一角。ところどころに、夜遅くまでネオンのついている酒場がある。そのネオンも繁華街のように豊かな彩りではなく、たいていが赤か青一色という淋しいものだ。そんな淋しい感じの酒場に入ろうとして、作者は扉が露で濡れているのを手に感じた。このとき、もちろん赤いのはネオンであるが、句を見つめると「赤き露」とも読めるわけで、このあたりは叙情詩人の本領発揮、字面的に微妙に常識をずらしているのだ。作者はここで「赤き露」にふれたのでもあるという心持ち……。旅先でのはじめての店だろうか、それとも地元での気の進まない相手との約束の店だろうか。いずれにしても、作者は勢いよく扉を押してはいないところが、この句をわびしいものにしている。そして、このわびしさが実にいい。酒飲みには、とくに切実に句のよさがわかるはずである。今夜も、この国のあちこちの裏町で、酒場の扉にふれる人はたくさんいるだろうが、さて、その際に「赤き露」を感じる人は何人くらいいるのだろうか。『菜の花集』(1994)所収。(清水哲男)




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