株価急降下。相場師には血の小便が出る荒っぽい展開だ。関係ないけど気にはなる。




1998ソスN9ソスソス12ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

September 1291998

 日の砂州の獣骨白し秋の川

                           藤沢周平

年になって藤沢周平の俳句がまとまって発見された(「小説新潮」1998年9月号・藤沢周平特集参照)。作者がまだ結核で療養中の昭和二十年代の作品で、「のびどめ」という病院の療養仲間の俳句会の機関誌に「留次」の俳号(この俳号もいかにも彼らしい)で載せた67句である。もとより作家になる習作以前の句であるが、やはりここにも後年の人生の機微と人の世の哀歓をたくみにとらえた時代物作家の眼の光りを窺うことができる。これはおそらく「秋の川」のテーマで作ったみのらしく、「天の藍流して秋の川鳴れり」「雲映じその雲紅し秋の川」「秋の川芥も石もあらわれて」の句が並んで発表されている。周平句は、俳誌「海坂」(ここから、かの海坂藩の名が生まれた)に発表した句を含めて、生涯105句あるという。藤沢周平と俳句との関係は、意外と深いものかもしれない。(井川博年)


September 1191998

 新涼の画を見る女画の女

                           福田蓼汀

アリの一句。会場の様子を画として見ている。画を見るのに少し疲れた作者は、長椅子にでも腰掛けているのだろう。会場は閑散としていると思われる。と、そこに妙齢の美女が現れた。どんな画の前でたたずむのかと好奇の目を光らせていると、彼女は女性が描かれている画の前で足を止めた。裸婦像かもしれない。そこで彼女の視線を追って、作者はもう一度その画を眺めやり、また件の女性に目を戻したというわけだ。したがってこの場合の新涼は、天然自然のそれというよりも、むしろ女が女の画をまっすぐに見つめている爽やかな雰囲気を表現している。最近はたまにしか展覧会に出かけないが、他人がどんな画に興味を示すのかは、かなり気になる。その他人が美女となれば、なおさらだ。わかっているのか、わかっていないのか。あるいは、お前なんかにわかってたまるかなどと、意地悪い目で会場の客を見ていたりする。観賞眼に自信があるわけではない。曲がりなりにも美術記者として社会に出た経験から、とくに他人の趣味嗜好が気になるだけである。若き日の職業柄からとはいえ、まことにもって因果なことである。(清水哲男)


September 1091998

 もの置かぬ机上もつとも涼新た

                           井沢正江

窓浄机。そんな言葉を思い出した。爽やかな新涼の雰囲気を、何も置かれていない机という物ひとつで捉えている。ひるがえって、現在ただいまの我が机上はというと、目勘定でざっと百冊ほどの本や雑誌がウヅ高く積まれており、北向きの部屋だから涼しいには涼しいが、とても上品な句になる光景ではない。本を下ろせば、寝る場所がなくなる。昔から書斎は「北堂」といって、光線の変化が少ない北向きの部屋がよしとされてきた。そのあたりは「よし」なのだけれど、机が机として使えない状態は「よくなし」だ。句に戻れば、作者の机の上には常に何も置かれていないのではなくて、一念発起して部屋の整理整頓を試み、その際に机上の物をすべて下ろしたというわけだろう。つまり、部屋全体が爽やかに一新されたのである。話はまたぞろ脱線するが、編集者時代にお邪魔した方々の書斎で最も整理されていたのは、詩人の松永伍一さん宅だった。イラストレーターの真鍋博さんの仕事場も、見事にきれいだった。反対に大先輩には失礼ながら、いまの私の机上とほぼ同じ状態だったのは、作家の永井龍男さんの炬燵の上。なにしろお話をうかがっているうちに、ずるずると本やらゲラやらが当方の膝の上に滑り落ちてくるのであった。『路地の空』(1996)所収。(清水哲男)




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