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1998ソスN9ソスソス7ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

September 0791998

 柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺

                           正岡子規

にこれほど有名で、これほどわけのわからない句も珍しい。何度も考えてみたのだが、結局は不可解のままに放置してきた。他の人のいろいろな解釈を読んでも、一つもピンとくるものはなかった。ところが、最近俳誌「未来図」(1998年9月号)を開くに及んで、やっと腑に落ちる解説に会うことができた。目から鱗が落ちた思いである。柿の季節にはいくらか早すぎるが、とても嬉しいので早速引用紹介しておきたい。作家・半藤一利氏の講演記録からの抜粋である。明治十八年十月、子規は漱石から十円を借りて松山より東京に戻る途中、関西に遊んだ。「私は簡単に解釈します。松山の子規記念館に、子規の遺しました『人物見立帳』という直筆の本があります。河東碧梧桐は『大根』、誰某は『玉蜀黍』とか書いてあり、漱石の所を見ると『柿』とあります。つまり子規さんの見立で言うと漱石は柿なんです。ですから、『柿くへば』というのは漱石を思い出しているんですね。お前さんから貰った十円の金をここでみな使っちまったという挨拶の句なんです」。道理で句のわからないわけがわかったと、私は膝を打ったのだけれど、この句を有名にしている理由はまた別にあるということも、はっきりとわかった。蛇足ながら、子規はこの当時としては大金の十円を、ついに返さなかったという。漱石の胃も痛むわけだ。(清水哲男)


September 0691998

 町あげてミスコンクール秋蝿殖ゆ

                           ねじめ正也

戦後十年目(1955)の句。いつの時代にも小売業者(作者は乾物商)にとって町の活性化は、大問題だ。とにかく、まずは町に人が集まってくれなければ話にならない。だから商店会では知恵を出し合って、集客できそうな祭りやイベントを繰り返し行う。ミスコンクールなどは当時からいまにつづく古典的な客寄せ法のひとつで、その意味では若い女性の威力には目を見張らされるものがある。戦後の各地で、いったいどれくらいの「ミス……」が誕生したことだろう。「ミス古墳」なる栄冠に輝いた女性もいた。ところで、ここでの作者は「町あげて」と書いてはいるけれど、本当はどうも盛り上がっていないらしい雰囲気だ。乾物商とミスコンクールとのミスマッチもさることながら、たとえばコンクールへの応募者が少なくて、町の顔役連中が頭をかかえている状態も考えられる。そんな雰囲気のなかで、作者はしつこく商品につきまとう蝿を追っている。でも、秋の蝿は弱々しいから、なかなか逃げてくれないのである。鬱陶しい気持ちのせいか、このごろはイヤに蝿が殖(ふ)えてきた感じなのでもある。『蝿取リボン』(1991)所収。(清水哲男)


September 0591998

 朝雲の故なくかなし百日紅

                           水原秋桜子

秋くらいまでは盛んに咲きつづける百日紅(さるすべり)。生命力に溢れたその姿は意気軒昂という感じで圧倒されもするが、だからこそ逆に、ときに見る者の心の弱さを暴き出すようにも働く。朝の雲を「故なくかなし」と見つめることになったりする。この句は、辻井喬『故なくかなし』(新潮社・1996)で知った。この本の帯に「俳句小説」と書かれているように、辻井さんが諸家の俳句作品に触発されて書いた十八の短編が収められている。秋桜子のこの句にヒントを得た作品は、表題作に掲げられているだけあって、なかなかに味わい深い。小説については直接本を読んでほしいが、もう一度ここで掲句を眺めてみると、なるほど、どこかに物語を発生させる装置が仕込まれているような気がしてくる。形式的にはまぎれもない俳句なのだけれど、むしろ短歌の世界を思わせる作品だ。秋桜子には、かなりこうした劇的句とでも言える句が多い。句のなかで何かを言い切るのではなく、多く感情的な筋道を示すことで、後の成り行きは読者にゆだねるという方法だ。正直に言って私はこの方法に賛同できないのだが、いまの若い人の俳句につづいている方法としては、現役バリバリのそれである。(清水哲男)




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