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August 3081998

 米洗ふ母とある子や蚊喰鳥

                           中村汀女

前の句。主婦俳句の第一人者といわれた汀女の句は、それがそのまま大正から昭和に至る庶民の生活記録になっていて興味深い。この句などを読むと、母親と子供との日常的なありようも、ずいぶん変わってきたことがわかる。表の井戸端で夕飯の支度をするという環境の変化もさることながら、このように、昔の子供はいつも母親の後を追っていたものだということがわかる。いまの子の多くは、母親がキッチンに立っている間は、テレビでも見ているのではなかろうか。いや、見せられているのではないだろうか。それに昔の東京の住宅地でも、このように蚊喰鳥(かくいどり・蝙蝠のこと)はごく普通に飛んでいて、作者の意識としては、この季節の夕景をごく普通に描写しただけにすぎないのである。つまり、句が作られた当時においては、何も特別な中身はなかったのであり、ごく平凡な月並み俳句のひとつであった。子供とともにある母親の安らぎが、句の言いたいことの全てである。それが半世紀以上も経てくると、「ほお」と好奇の目を呼び寄せたりするのだから面白い。さりげないスナップ写真が、後に貴重なデータになったりするのと同じことだ。『汀女句集』所収。(清水哲男)


July 1272002

 かはほりの天地反転くれなゐに

                           小川双々子

語は「かはほり(蝙蝠・こうもり)」で夏。夜行性で、昼間は洞窟や屋根裏などの暗いところに後肢でぶら下がって眠っている。なかには「かはほりや仁王の腕にぶら下り」(一茶)なんて奴もいる。したがって、句の「天地反転」とは蝙蝠が目覚めて飛び立つときの様子だろう。「くれなゐ」は「くれなゐ(の時)」で、夕焼け空が連想される。紅色に染まった夕暮れの空に、蝙蝠たちが飛びだしてきた。「天地反転」という漢語の持つ力強いニュアンスが、いっせいに飛び立った風情をくっきりと伝えてくる。そして、この言葉はまた、昼夜「反転」の時も告げているのだ。現実の情景ではあるのだが、幻想的なそれに通じるひとときの夕景の美しさ。最近の東京ではとんと見かけないけれど、私が子供だったころには、東京の住宅地(中野区)あたりでも、彼らはこんな感じで上空を乱舞していた。竹竿を振り回して、追っかけているお兄ちゃんたちも何人かいたような……。何の話からだったか、編集者時代に武者小路実篤氏にこの話をしたところ、「ぼくの子供の頃には丸ノ内で飛んでましたよ」と言われてしまい、つくづく年齢の差を感じさせられた思い出もある。俳誌「地表」(2002年5月・通巻第四一四号)所載。(清水哲男)


July 1272003

 かはほりや夕飯すんでしまひけり

                           清水基吉

語は「かはほり」で夏。蚊を欲するから「かはほり」と言ったようだ。発音が転じて「蝙蝠(こうもり)」に。私の子供のころは、夕方になると盛んに飛んでいた。夏の日は長い。それぞれの事情に合わせて、各家庭の夕食の時間はほぼ一定しているから、作者の家のように「夕飯」がすんでも、夏場にはまだ明るいということが起きる。私にも経験があるけれど、この明るさにはまことに中途半端な気持ちにさせられてしまう。夕飯が終われば、一日が終わったも同然だ。しかし、表はなお明るくて、終わったという気になることができない。まことに頼りなく所在なく、ぼんやりと「かはほり」の飛び交う様子でも眺めているしかないような時間帯となる。この不思議なからっぽの時間帯のありようを、句は誰にも見えるような空間に託して、さりげなく述べている。見事なものだ。テキストのみからの解釈ではこれでよいと思うが、句集の構成からすると、この句が敗戦直後に作られていることがわかる。となれば、句の「夕飯」の中身にも自然に思いが及んでいく。決して楽しんで食べられる中身じゃなかったはずだ。同じ作者の戦争末期の句には「飯粒の沈む雑炊捧げ食ふ」がある。粗食も粗食、米粒を探すのが大変という食事では、楽しむも何もないだろう。テキストのみから受ける印象に、あっという間に食べ終わった粗末な夕食と、やり場の無い心の空しさとを付け加えて鑑賞してみると、戦後庶民の茫然自失ぶりがひしひしと迫ってくる。ちなみに作者は、敗戦の年の芥川賞受賞作家だ。だが、受賞したからといって、暮らし向きが好転するような時代ではなかったこともわかる。『宿命』(1966)所収。(清水哲男)


August 2082009

 かはほりのうねうね使ふ夜空かな

                           岩淵喜代子

い頃、暗くなりはじめた屋根の周辺にこうもりはどこからともなく現れた。こうもりの羽根の被膜は背中と脇腹の皮膚の延長で、長く伸びた指を覆うようにして翼となったそうだ。肘を少し曲げたねずみが両手をぱたぱたさせて空を飛んでいるようなもので、鳥のように直線的な飛び方でなく「うねうね」という形容がぴったりだ。夜空を浮き沈みするように飛んでいるこうもりを生け捕りにしようと兄は丸めた新聞の片端に紐をつけこうもりめがけて飛ばしていたが、子供の投げる新聞玉が命中するわけもなくあたりは暮れてゆくばかりであった。深い軒や屋根裏や、瓦の隙間に住んでいたこうもりは住み家がなくなってしまったのか。長い間こうもりを見ていないように思う。夜空をうねうね使いながらこうもりは何処へ飛んで行ったのだろう。『嘘のやう影のやう』(2008)所収。(三宅やよい)


July 1672015

 空はまだ薄目を開けて蚊喰鳥

                           村上鞆彦

の夕暮れは長い。日差しが傾き、炎熱に抑えられていた風が心地よく吹き始め、戸外で夕涼みをするには一番の時間帯だ。夕焼雲と藍色がかった空がグラデーションを描く。暗くなりそうでならない、薄明の暮時でもある。その様子を「空はまだ薄目を開けて」と言い取ったところが魅力的だ。蚊喰鳥、こうもりが飛び始めるのもそんな時間帯。「薄目」はほとんど見えているかどうかわからないこうもりの目の表情も連想させる。この頃めっきりこうもりを見なくなったと思っていたが、先月琵琶湖畔に盛んに飛び回っているのを見た。かはほりは「川守」に通じるというので、水辺に多いのだろうか。飛び交う蝙蝠と暮れていく夏の宵を存分に楽しんだ、そのことが掲句を読んで鮮やかに蘇った。『遅日の岸』(2015)所収。(三宅やよい)




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