通信社のラジオ・二ユース原稿の劣化がひどい。忙しいのは昔も今も変わらないのに。




1998ソスN8ソスソス21ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

August 2181998

 また微熱つくつく法師もう黙れ

                           川端茅舎

躯にして精悍。たった三センチほどの蝉のくせに、突然大声をはりあげるのだから、病気がちの人にとってはたまらないだろう。こ奴め、どんな姿をしているのかと、少年時代にひっとらえてまじまじと見つめた覚えがあるが、その意外な小ささと透明な羽根の美しさに驚いたものだった。「法師」の名は、鳴き声からきているという。が、蝉の仲間から言わせれば、法師は法師でも、むしろやんちゃ坊主の類に入れられるのではあるまいか。「法師」というだけで、夏目漱石のように「鳴き立ててつくつく法師死ぬる日ぞ」という無常感につなげて詠む人が、いまでも多い。しかし、この句の作者は「法師」もクソもあるものかと、大いに不機嫌である。どちらも感じたままを詠んでいるとして、胃弱の漱石がこの対比のなかでは、はからずも健康者の感覚を代表してしまっているところが皮肉である。つまり、人生の無常などにしみじみと思いをいたすのは、健康体の人間によってはじめて可能だということであり、病人にはそんな心の余裕はないということだ。文学や文化の九割以上が健康者のためのものとしてあることを、病気がちの人でも気がついているかどうか。(清水哲男)


August 2081998

 千編を一律に飛ぶ蜻蛉かな

                           河東碧梧桐

なみに「千篇一律」の原意は「多くの詩がどれも同じ調子で変化のない」こと。転じて、多くの物事がみな同じ調子なので面白みがない様子をさす(作者は「千編」と書いているが意味は同一)。なるほど、蜻蛉の飛ぶ様子はみな同じ調子で面白いとは言えない。飽かずに眺めるというものとは違う。碧梧桐は正岡子規の近代俳句革新運動の、より改革的な側面を担った。子規の提唱した視覚的写生を、より実験的に立体的に展開することに腐心した。後に門流からは「新傾向俳句」が勃興してくる。つまり、彼は俳句表現に常に新しさを求め続けた人である。その意味では、この句も当時にあっては相当に新しい手法で作られたものだ。機智に富んだ方法である。が、いま読んでみると、どこか物たりなさが感じられる。「言いえて妙」と膝を打つわけにはいかないのだ。はっきり言って、古い。それは「千篇一律」という古い言葉のせいではなくて、「千篇一律」をこのように使ってみせたセンスが古いのだ。多くの碧梧桐の句にはこの種の古さが感じられ、それは「新傾向俳句」にもつながる古さである。この人の句を読むたびに、時代の新しい表現とは何かを考えさせられる。新しさは「千篇一律」の温床でもある。『碧梧桐全句集』(1992)所収。(清水哲男)


August 1981998

 無職なり氷菓溶くるを見てゐたり

                           真鍋呉夫

職は、人を茫然とさせる。何度か失職の体験があるので、この句はよくわかる。いざ無職になってみると、社会というものが、職のある人たちだけでできていることが骨身にしみてよくわかる。ブツブツ文句を言いながらも、会社に通うことでしか社会に参画できないのが、ほとんどの現代人なのだ。もとより、私も例外ではなかった。誰も助けてはくれない。などと泣き言を言う前に、無職になると、自分が何者であるかが全くわからなくなる。結構、コワい感覚だ。住むべきアパートもなく、日銭を稼いでは山手線のアイマイ宿を転々とした。そんな生活には、詩もなければヘチマもない。目の前の氷菓が溶けようがどうなろうが、関係はない。あったのは、茫然とした二十七歳の若さだけだった。そんな生活のなかで、ひょいと河出書房という出版社に拾われたことは、我が人生最高のラッキーな出来事だと思っている。その河出もすぐに倒産するのだが、束の間にもせよ、あんなに楽しい職場はなかった。真鍋呉夫さんにも、そのころお会いできた。「書かない作家」として有名で、この句を読むと、その当時の真鍋さんを懐しく思いだす。茫然としながらも、呑気に俳句なんかをひねるところが、いかにも真鍋さんらしいのである。『花火』(1941)所収。(清水哲男)




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