小淵総理大臣の答弁は腰が引けている。必ずしも悪いとは思わないが、策略かも…。




1998ソスN8ソスソス11ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

August 1181998

 きつねのかみそり一人前と思ふなよ

                           飯島晴子

初は正直に言ってよくわからなかったが、わからないなりにドキリとさせられた。小さいが鋭利な剃刀を手にしたキツネが、そいつをキラキラ光らせながら、人間の慢心を戒めていると読める。ヒヤリとさせられる。古老や親方に言われるよりも、ずっと怖い。刺しちがえて来そうな迫力がある。「きつねのかみそり」とは、実はこの季節の野の花の名で、夏水仙の仲間である。ヒガンバナ科。そんなに詳しくない植物図鑑にも載っているので、元来がポピュラーな花なのだろう。ただし、最近の歳時記にはない。写真を見ると、彼岸花を小さく寂しくしたような橙色の花だ。花びらが尖っているので、なるほど「狐の剃刀」という感じがする。命名の由来には、伝説か民話がありそうだ。それにしても「一人前と思ふなよ」とは、心の奥にまで刺し込まれるような言葉である。もちろん作者の自戒なのだが、句の力によって自戒を軽々と越えてしまい、明らかに他人にも及んでいると読まざるをえないところが凄い。自分を切ることで、他人をも同時に切るという方法。一度くらいは、こんな啖呵(たんか)を颯爽と切ってみたい。『春の蔵』(1980)所収。(清水哲男)


August 1081998

 桃の種桃に隠れむまあだだよ

                           中原道夫

桃、水蜜桃……どう呼んでもいいけれど、やわらかさと品位ある香りで、私たちを魅了してやまない初秋のくだものの王さま。道夫は視点をちょいとずらして、水蜜したたる果肉の奥に隠れひそむ種にズバリ迫らんとする。水気たっぷりの果肉を惜しむように、しゃぶりつきながら徐々に種へと迫る。鎮座まします種はまるで宝物のようだ。世に桃を詠んだ句は多いが、その種を詠んだ句はわずかしかない。あわてず、ゆっくり、隠れんぼの鬼でも探すように「もういいかぁーい」と、楽しみながらしゃぶり進む様子。まじめに言うのだが、桃はどこか道夫のアタマに似てはいまいか。うん、種もどこかしら似ているような気がしてくる。最新の句集『銀化』(1998)374句中の一句。道夫は10月からいよいよ結社「銀化」を主宰する。(八木忠栄)


August 0981998

 富士山頂吾が手の甲に蝿とまる

                           山口誓子

夏でも、富士山の頂上は寒い。「二度登る馬鹿」と言われて二度登ったことがあるので、とくに朝方の冷えこみ具合は忘れられない。そんなところに蝿がいるのは、確かに素朴な驚きだ。下界で想像すると、なにしろゴミ捨て場みたいな山でもあるから、蝿だっているさと思いがちだが、あの寒気のなかの蝿の存在はやはり珍しいのである。この句の前に「十里飛び来て山頂に蝿とまる」とある。自分もよく登ったものだが、蝿よ、お前もよくやったなあ。そんな感慨が自然にわいてきて、手の甲の蝿を払いもせずに見つめている図である。巨大な富士と微小な蝿との取り合わせも面白い。なんでもない句と言えば言えようが、この「なんでもなさ」のポエジーを面白がれるヒトにならなければ、この世を、死ぬまでほとんどなんでもないことの連続で通り過ぎてしまうことになる。誤解を恐れずに言えば、俳句は「なんでもない世」を面白く見つめるための強力なツールなのだと思う。ついでに余談的愚問だが、最近「富士額(ふじびたい)」の女性をとんと見かけないのは、ヘア・スタイルの変化によるものなのだろうか。『不動』所収。(清水哲男)




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