法師蝉鳴く。桜の開花も早かったし今年は季節の進行が早い。紅葉も雪も早いのか。




1998ソスN8ソスソス7ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

August 0781998

 涼つよく朱文字痩せたる山の墓

                           原 裕

の朱文字は生存者を意味する。生前に自分の墓を建てるか、あるいは一家の墓を新しく建立した人の名前は「朱」で示される。よく見かけるのは後者で、墓の側面に彫られた建立者の姓名のうち「名」だけが朱色になっている。句の場合も、おそらくは後者だろう。山道で、ふと目についた一基の墓。そうとうに古い感じがするが、よく見ると建立者の名前は朱文字である。ただし、その朱文字は朱は痩せていて(剥げかけていて)、かなり「古い新墓」なのであった。ということは、墓の施主もいまでは年老いた人であることが想像され、山の冷気のなかで、作者は見知らぬその人の人生を思い、しばし去りがたい気持ちにとらわれたのである。人生的な寂寥感のただよう佳句といえよう。墓ひとつで、作者は実にいろいろなことを語っている。俳句ならではの表現でありテクニックだ。私には墓を眺める趣味はないけれど、たまに興味をひかれる墓がないではない。東京谷中の大きな墓地の一画に美男スターだった長谷川一夫の墓があって、そこには「水子の霊」も一緒にまつられている。『風土』(1990)所収。(清水哲男)


August 0681998

 東京と生死をちかふ盛夏かな

                           鈴木しづ子

の俳人の句。前書に「爆撃はげし」とあるから、戦争も末期の句だ。このとき作者は二十代前半である。工作機械を製造する会社に、トレース工として勤めていた。解説するまでもない句だが、気性の激しい軍国少女の典型的な表情が浮かび上がってくる。当時の婦人雑誌の表紙をかざっていた、工場などで鉢巻き姿で働く女性の表情を思い起こさせる。「ウチテシヤマム」の心意気なのだ。決して上手な句とは言えないけれど、一度心に決めたら梃子でも動かぬ女性のありようが胸に響く。とても美しいひとだったらしい。「夫ならぬひとによりそふ青嵐」の句にも見られるように、恋多き女性だったことでも有名だったようだ。したがって、ずいぶんと俳壇ジャーナリズムにももてはやされていたというが、1959年に句作を中断した後に、ふっつりと消息がつかめなくなった。現在も、わからないままである。もちろん生死のほども不明で、存命であれば今年で79歳だから、お元気でおられる可能性は高い。一度心に決めたら梃子でも動かぬ気性を、この日本のどこかで貫いておられるのだろう。『春雷』(1952)所収。(清水哲男)


August 0581998

 縛されて念力光る兜虫

                           秋元不死男

虫をつかまえてくると、身体に糸を結び付けてマッチ箱などを引っ張らせて遊んだ。昔の子供にとっては夏休みの楽しみのひとつだったが、作者からすれば兜虫は「縛されて」いるのであり、文字通りに五分の魂を発揮して、こんなことでくじけてたまるかという念力の火だるまのように見えている。弱者への強い愛情の目が光っている。これだけでも鋭い句だが、ここに作者の閲歴を重ね合わせて読むと、さらに深みが増してくる。秋元不死男は、戦前に東京三(ひがし・きょうぞう)の名前で新興俳句の若手として活躍中に、治安維持法違反の疑いで投獄された過去を持つ。したがってこの句は、当時の自分自身や仲間たちの姿にも擬せられているというわけだ。戦後は有季定型に回帰して脚光を浴びたのだが、没後(1977没)の評価はなぜかパッとしない。なかには「不孝な転向者」という人もいるほどだ。そうだろうか。この句や「カチカチと義足の歩幅八・一五」などを読むかぎりでは、有季定型のなかでも社会のありようへの批評精神は健在だと読めるのだが……。『万座』所収。(清水哲男)




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