ようやく東京は「夏休みの朝」らしい朝になる。涼しいうちに宿題をという雰囲気。




1998ソスN8ソスソス5ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

August 0581998

 縛されて念力光る兜虫

                           秋元不死男

虫をつかまえてくると、身体に糸を結び付けてマッチ箱などを引っ張らせて遊んだ。昔の子供にとっては夏休みの楽しみのひとつだったが、作者からすれば兜虫は「縛されて」いるのであり、文字通りに五分の魂を発揮して、こんなことでくじけてたまるかという念力の火だるまのように見えている。弱者への強い愛情の目が光っている。これだけでも鋭い句だが、ここに作者の閲歴を重ね合わせて読むと、さらに深みが増してくる。秋元不死男は、戦前に東京三(ひがし・きょうぞう)の名前で新興俳句の若手として活躍中に、治安維持法違反の疑いで投獄された過去を持つ。したがってこの句は、当時の自分自身や仲間たちの姿にも擬せられているというわけだ。戦後は有季定型に回帰して脚光を浴びたのだが、没後(1977没)の評価はなぜかパッとしない。なかには「不孝な転向者」という人もいるほどだ。そうだろうか。この句や「カチカチと義足の歩幅八・一五」などを読むかぎりでは、有季定型のなかでも社会のありようへの批評精神は健在だと読めるのだが……。『万座』所収。(清水哲男)


August 0481998

 昼顔にレールを磨く男かな

                           村上鬼城

城は、大正期の「ホトトギス」を代表する俳人。鳥取藩江戸屋敷生まれ(1865)というから、れっきとした武家の出である。司法官を志すも、耳疾のために断念。やむなく、群馬県の高崎で代書業に従事した(余談だが、侍の末裔に提灯屋や傘屋などが多いのは、鬼城ほどではないにしても、みな一応は文字が書けたからである)。ところで、このレールは蒸気機関車の走る鉄道のそれだろう。いまでは想像もおぼつかないが、錆びつかないようにレールを磨く(保守する)仕事があったというわけだ。黙々とレールを磨く男と、線路の木柵にからみついて咲いている数輪の昼顔の花。炎天下、いずれもが消え入りそうな様子である。けれども同情はあるにしても哀れというのではなく、むしろ猛暑のなかに溶け入るかのように共存していると見える、男と花の恍惚状態をとらえていると読んだ。耳の聞こえなかった作者ならではの着眼と言えるだろう。が、考えてみれば、誰にとっても真夏の真昼という時間帯は、限りなく無音の世界に近いのではあるまいか。(清水哲男)


August 0381998

 川に音還る踊の灯の消えて

                           岡本 眸

句での「踊」は盆踊りのこと。川端でのにぎやかな盆踊りの灯も消えると、人々は三々五々と散りはじめ、次第に静かな闇の世界が戻ってくる。宴の最中もいいものだが、その散り際にも情緒がある。なお去りがたく思っている作者の耳に、それまでは聞こえてこなかった(すっかり忘れていた)川の音が鮮やかに還ってきたというのである。ただそれだけのことでしかないのだけれど、盆踊りが果てた後のなんとも言えない寂寥感をきちんととらえており、絶品だ。私の田舎の盆踊り会場も、いつも川畔の小学校の校庭だったから、実感的にもよくわかる。田舎にも、最近はとんとご無沙汰だ。田舎の盆踊りには都会に出ている人たちがたくさん帰ってくるので、そのことだけでも十分に興奮できる要素がある。なつかしい顔を灯のなかでつぎつぎに見つけているうちに、なんだかそこが「この世」ならざる世界にも思えてきたりするのである。数年前、この我が母校も過疎の村ゆえに廃校になったという。山口県阿武郡高俣村立高俣小学校。父の出身校でもある。『朝』(1971)所収。(清水哲男)




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