子供たちが小さかったころは、毎夏、南紀白浜に出かけた。行かなくなって十数年。




1998ソスN8ソスソス2ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

August 0281998

 重き雨どうどう降れり夏柳

                           星野立子

立や梅雨ではなく、本降りの夏の雨である。三橋敏雄の句にも「武蔵野を傾け呑まむ夏の雨」とあるように、気持ちのよいほどに多量に、そして「どうどう」と音を立てて豪快に降る。気象用語を使えば「集中豪雨」か、それに近い雨だ。そんな雨の様子を、夏柳一本のスケッチでつかまえたところが、さすがである。柳は新芽のころも美しいが、幹をおおわんばかりに繁茂し垂れ下がっている夏の姿も捨てがたい。雨をたっぷりと含んだ柳の葉はいかにも重たげであり、それが「重き雨」という発想につながった。実際に重いのは葉柳なのだが、なるほど「重き雨」のようではないか。この類の句は、できそうでできない。ありそうで、なかなかない。うっかりすると、句集でも見落としてしまうくらいの地味な句だ。が、句の奥には「俳句修業」の長い道のりが感じられる。作者としては、もちろん内心得意の一作だろう。夏の雨も、また楽しからずや。『続立子句集第二』(1947)所収。(清水哲男)


August 0181998

 ゴビの夏悟空のごとく飛びにけり

                           佐治玄鳥

鳥はサントリー会長佐治敬三さん。二年前に第一句集『自然薯』を刊行して話題になった。上の句は本年三月に刊行された第二句集『仙翁花(せんのうげ)』に収められている。企業のオーナーは忙しく国内外を飛びまわる。そうした折々の句が多い。これは「天山十五句」のうちの一句。なんとも大きく、ひろやかな句姿である。実際はキント雲ならぬ飛行機でゴビをひとまたぎだろうが、気持ちはむしろキント雲に乗って、ゴビの大地を悠々と見おろしながらひとっ飛びであろう。この大胆率直さはウイスキーならストレートの味わい。森澄雄氏の跋文にこうある。「大らかで、率直で、飾りがなく、人間そのままの正直で素直な感性で詠まれていることが何よりもこころよい」。文化を懸命に支援してきた企業人の土性骨が感じられる。(八木忠栄)


July 3171998

 ががんぼを厨に残しフランスへ

                           塩谷康子

外旅行。長期間家を空けるとなると、出発直前にあれこれと家の中を点検する。とくに厨房は火の元でもあるし、ガスの元栓などは何度でも確かめたくなる。と、そこに一匹のががんぼがいた。窓を開けて出してやろうとしたのだが、なかなか出てくれない。いま出てくれないと、作者が戻ってくるまで窓は開かれないのだから、確実に死んでしまうだろう。それを思うと、何とかしてやりたいのだが、どうにもならぬ。さあ、困ったことになった。時計を見ると、そろそろ出かけなくてはならない時間だ。数分間逡巡したあげくに、あきらめてそのままにしておくことにした。タイム・リミットだからね、仕方がないよねと、自分を納得させて、作者はフランスへ旅立ったというわけだ。「ががんぼ」と「フランス」の取り合わせもなんとなく可笑しいが、時間ぎりぎりまで「ががんぼ」にこだわった作者の心根も興味深い。遠い国への稀な旅は、このようにどこかで「命」に心を向かわせるところがある。まずは自分の「命」を思うからであろうが、普段なら気にも止めない「命」にも、その心は及んでいく。『素足』(1997)所収。(清水哲男)




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