東京は梅雨の明けぬまま八月をむかえた。16年ぶりだ。今日明日は近辺で盆踊り。




1998ソスN8ソスソス1ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

August 0181998

 ゴビの夏悟空のごとく飛びにけり

                           佐治玄鳥

鳥はサントリー会長佐治敬三さん。二年前に第一句集『自然薯』を刊行して話題になった。上の句は本年三月に刊行された第二句集『仙翁花(せんのうげ)』に収められている。企業のオーナーは忙しく国内外を飛びまわる。そうした折々の句が多い。これは「天山十五句」のうちの一句。なんとも大きく、ひろやかな句姿である。実際はキント雲ならぬ飛行機でゴビをひとまたぎだろうが、気持ちはむしろキント雲に乗って、ゴビの大地を悠々と見おろしながらひとっ飛びであろう。この大胆率直さはウイスキーならストレートの味わい。森澄雄氏の跋文にこうある。「大らかで、率直で、飾りがなく、人間そのままの正直で素直な感性で詠まれていることが何よりもこころよい」。文化を懸命に支援してきた企業人の土性骨が感じられる。(八木忠栄)


July 3171998

 ががんぼを厨に残しフランスへ

                           塩谷康子

外旅行。長期間家を空けるとなると、出発直前にあれこれと家の中を点検する。とくに厨房は火の元でもあるし、ガスの元栓などは何度でも確かめたくなる。と、そこに一匹のががんぼがいた。窓を開けて出してやろうとしたのだが、なかなか出てくれない。いま出てくれないと、作者が戻ってくるまで窓は開かれないのだから、確実に死んでしまうだろう。それを思うと、何とかしてやりたいのだが、どうにもならぬ。さあ、困ったことになった。時計を見ると、そろそろ出かけなくてはならない時間だ。数分間逡巡したあげくに、あきらめてそのままにしておくことにした。タイム・リミットだからね、仕方がないよねと、自分を納得させて、作者はフランスへ旅立ったというわけだ。「ががんぼ」と「フランス」の取り合わせもなんとなく可笑しいが、時間ぎりぎりまで「ががんぼ」にこだわった作者の心根も興味深い。遠い国への稀な旅は、このようにどこかで「命」に心を向かわせるところがある。まずは自分の「命」を思うからであろうが、普段なら気にも止めない「命」にも、その心は及んでいく。『素足』(1997)所収。(清水哲男)


July 3071998

 ラムネ抜けば志ん生の出の下座が鳴る

                           今福心太

キですねえ。いいですねえ。夏の寄席には、ちょっと安っぽくて野暮な感じのラムネが似合います。しかもこれから、高座は天下の志ん生ですよ。噺を聞く前から楽しい気分になっている作者の気持ちが、よく伝わってきます。ラムネはサイダーとほとんど同じ成分だそうですが、なんといっても嬉しいのは瓶の形状ですね。どう言ったらよいのか。あの「玉入りガラス瓶」は、そんなに美味とは言えない中身を凌駕して余りある魅力を保持してきました。パッケージ人気で売れた元祖みたいな商品でしょう。数年前にラムネ人気が息を吹き返したこともありましたが、プラスチック製の瓶では、やはり駄目だったようですね。機能的には同一でも、手にしたときの重さだとかガラス玉とガラス瓶の触れ合う音が、まったく違います。こういう句を読むと、昔はよかったんだなと、つくづく思います。寄席には、冷房なんぞというシャレた仕掛けもなかった時代に、しかし、客の楽しみは現代よりももっともっとふんだんにあったというわけですから。「庶民的」という言葉が、文字通りに生きていた時代の句です。(清水哲男)




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