11年前のCompuServeとの接続時間記録が出てきた。電話代抜きで月に150ドル。




1998ソスN7ソスソス31ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

July 3171998

 ががんぼを厨に残しフランスへ

                           塩谷康子

外旅行。長期間家を空けるとなると、出発直前にあれこれと家の中を点検する。とくに厨房は火の元でもあるし、ガスの元栓などは何度でも確かめたくなる。と、そこに一匹のががんぼがいた。窓を開けて出してやろうとしたのだが、なかなか出てくれない。いま出てくれないと、作者が戻ってくるまで窓は開かれないのだから、確実に死んでしまうだろう。それを思うと、何とかしてやりたいのだが、どうにもならぬ。さあ、困ったことになった。時計を見ると、そろそろ出かけなくてはならない時間だ。数分間逡巡したあげくに、あきらめてそのままにしておくことにした。タイム・リミットだからね、仕方がないよねと、自分を納得させて、作者はフランスへ旅立ったというわけだ。「ががんぼ」と「フランス」の取り合わせもなんとなく可笑しいが、時間ぎりぎりまで「ががんぼ」にこだわった作者の心根も興味深い。遠い国への稀な旅は、このようにどこかで「命」に心を向かわせるところがある。まずは自分の「命」を思うからであろうが、普段なら気にも止めない「命」にも、その心は及んでいく。『素足』(1997)所収。(清水哲男)


July 3071998

 ラムネ抜けば志ん生の出の下座が鳴る

                           今福心太

キですねえ。いいですねえ。夏の寄席には、ちょっと安っぽくて野暮な感じのラムネが似合います。しかもこれから、高座は天下の志ん生ですよ。噺を聞く前から楽しい気分になっている作者の気持ちが、よく伝わってきます。ラムネはサイダーとほとんど同じ成分だそうですが、なんといっても嬉しいのは瓶の形状ですね。どう言ったらよいのか。あの「玉入りガラス瓶」は、そんなに美味とは言えない中身を凌駕して余りある魅力を保持してきました。パッケージ人気で売れた元祖みたいな商品でしょう。数年前にラムネ人気が息を吹き返したこともありましたが、プラスチック製の瓶では、やはり駄目だったようですね。機能的には同一でも、手にしたときの重さだとかガラス玉とガラス瓶の触れ合う音が、まったく違います。こういう句を読むと、昔はよかったんだなと、つくづく思います。寄席には、冷房なんぞというシャレた仕掛けもなかった時代に、しかし、客の楽しみは現代よりももっともっとふんだんにあったというわけですから。「庶民的」という言葉が、文字通りに生きていた時代の句です。(清水哲男)


July 2971998

 薮から棒に土用鰻丼はこばれて

                           横溝養三

日は、この夏の土用丑の日。鰻たちの厄日。毎年日付が変わるので、忘れていることが多い。作者も、そうだったのだろう。だから「薮から棒に」なのである。夕飯時のちょっとした出来事、いや事件だ。こういう事件は、しかし嬉しいものである。作者は「おいおい、どうしたんだ」と言いかけて、はたと今日が丑の日だったことに気がついたというところか。この句は、何種類もの歳時記に登場している。作者の嬉しさが素直に伝わってくるので、人気があるのだろう。ところで、真夏に鰻を食べる効用については、うんざりするほどの情報があるから、ここには書かない。ただ、『万葉集』の大伴家持の歌に「石麻呂(いはまろ)に吾れ物申す夏痩によしと云ふものぞ鰻とり召せ」とあり、これは覚えておいて損はないと思う。もしかすると、今夜の食事時に使えるかもしれない。草間時彦で、もう一句。「土用鰻息子を呼んで食はせけり」。息子にとってこの親心はむろん嬉しいだろうが、本当は、息子の健啖ぶりを傍で眺める親のほうがもっと嬉しいのである。(清水哲男)




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