朝はハヨから麹町へ。民放連とTOKYO-FMでの仕事。上智大学の蝉しぐれが楽しみ。




1998ソスN7ソスソス30ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

July 3071998

 ラムネ抜けば志ん生の出の下座が鳴る

                           今福心太

キですねえ。いいですねえ。夏の寄席には、ちょっと安っぽくて野暮な感じのラムネが似合います。しかもこれから、高座は天下の志ん生ですよ。噺を聞く前から楽しい気分になっている作者の気持ちが、よく伝わってきます。ラムネはサイダーとほとんど同じ成分だそうですが、なんといっても嬉しいのは瓶の形状ですね。どう言ったらよいのか。あの「玉入りガラス瓶」は、そんなに美味とは言えない中身を凌駕して余りある魅力を保持してきました。パッケージ人気で売れた元祖みたいな商品でしょう。数年前にラムネ人気が息を吹き返したこともありましたが、プラスチック製の瓶では、やはり駄目だったようですね。機能的には同一でも、手にしたときの重さだとかガラス玉とガラス瓶の触れ合う音が、まったく違います。こういう句を読むと、昔はよかったんだなと、つくづく思います。寄席には、冷房なんぞというシャレた仕掛けもなかった時代に、しかし、客の楽しみは現代よりももっともっとふんだんにあったというわけですから。「庶民的」という言葉が、文字通りに生きていた時代の句です。(清水哲男)


July 2971998

 薮から棒に土用鰻丼はこばれて

                           横溝養三

日は、この夏の土用丑の日。鰻たちの厄日。毎年日付が変わるので、忘れていることが多い。作者も、そうだったのだろう。だから「薮から棒に」なのである。夕飯時のちょっとした出来事、いや事件だ。こういう事件は、しかし嬉しいものである。作者は「おいおい、どうしたんだ」と言いかけて、はたと今日が丑の日だったことに気がついたというところか。この句は、何種類もの歳時記に登場している。作者の嬉しさが素直に伝わってくるので、人気があるのだろう。ところで、真夏に鰻を食べる効用については、うんざりするほどの情報があるから、ここには書かない。ただ、『万葉集』の大伴家持の歌に「石麻呂(いはまろ)に吾れ物申す夏痩によしと云ふものぞ鰻とり召せ」とあり、これは覚えておいて損はないと思う。もしかすると、今夜の食事時に使えるかもしれない。草間時彦で、もう一句。「土用鰻息子を呼んで食はせけり」。息子にとってこの親心はむろん嬉しいだろうが、本当は、息子の健啖ぶりを傍で眺める親のほうがもっと嬉しいのである。(清水哲男)


July 2871998

 英雄の息女の三人白夏服

                           中村草田男

戦前年の句。三人は「みたり」と読む。当時「英雄」といえば、戦死した人と解するのが普通であった。最近戦地で父親を失った娘たちが、三人ともいつもの夏と同じように、きちんと白い夏服を着用している。悲しみを払いのけるようなその凛とした姿に、作者はうたれている。これぞ「大和撫子」の鏡だと、大いに感じ入っている。ところで、こういう句は、実にコメントしにくい。なぜなら、この句は俳句の定型という以上に「時代の定型」を背負っているからだ。英雄の定義にしてからが「時代の定型」にしたがっているのだし、作者の心持ちも「時代の定型」につつまれており、もう一歩細かい心情には踏み込めないところがある。したがって、いまとなってのこの句は、一種の風俗詩としてしか読めないと言ったほうがすっきりしそうだ。作者はべつに時流におもねっているわけではないのだけれど、戦争に対して何も言っていないことも明白で、そこが限界ということになるのだろう。では、いまさら、なぜ、このような句を引いたのか。読み返しているうちに、上述の理由とあわせて、なんだかとても切なくなってきたからである。『来し方行方』(1947)所収。(清水哲男)




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