蟄」隱槭′螟乗恪縺ョ句

July 2871998

 英雄の息女の三人白夏服

                           中村草田男

戦前年の句。三人は「みたり」と読む。当時「英雄」といえば、戦死した人と解するのが普通であった。最近戦地で父親を失った娘たちが、三人ともいつもの夏と同じように、きちんと白い夏服を着用している。悲しみを払いのけるようなその凛とした姿に、作者はうたれている。これぞ「大和撫子」の鏡だと、大いに感じ入っている。ところで、こういう句は、実にコメントしにくい。なぜなら、この句は俳句の定型という以上に「時代の定型」を背負っているからだ。英雄の定義にしてからが「時代の定型」にしたがっているのだし、作者の心持ちも「時代の定型」につつまれており、もう一歩細かい心情には踏み込めないところがある。したがって、いまとなってのこの句は、一種の風俗詩としてしか読めないと言ったほうがすっきりしそうだ。作者はべつに時流におもねっているわけではないのだけれど、戦争に対して何も言っていないことも明白で、そこが限界ということになるのだろう。では、いまさら、なぜ、このような句を引いたのか。読み返しているうちに、上述の理由とあわせて、なんだかとても切なくなってきたからである。『来し方行方』(1947)所収。(清水哲男)


June 0662000

 白服にてゆるく橋越す思春期らし

                           金子兜太

葉仁に「若きらの白服北大練習船」がある。白服の若者たちはいかにも清々しく、力強く、そして軽快だ。ところが、掲句の少年(少女)は反対に、のろのろと重い足取りで橋を渡っている。作者との位置関係だが、同じ橋を渡っているのではないだろう。たぶん作者は橋を見上げる河辺の道にいて、気だるそうな少年(少女)の歩行が気になっているのだと思われる。橋上に、他の人影はない。じりじりと照りつける太陽。そこで作者は、その鈍重な歩みの原因を、「思春期」の悩みゆえと見てとった。もとより客観的な根拠などないわけだが、とっさに作者の心は、みずからの「思春期」のころに飛んでいったのである。その意味で、句は自分自身の過去を詠んだ歌とも言え、それゆえに橋上の若者に注ぐまなざしは慈しみに近い愛情に満ちている。辛いだろうが、乗り越えるんだよ……。なあに、君だったら、すぐに克服できるさ……。そんな慈眼が働いている。白服を歌って、異色の作品。しかも、何の衒いもないところに、作者の人柄がよくにじみ出ている。『金子兜太全句集』(1975)所収。(清水哲男)


May 1352005

 白服にプラットフォームの端好む

                           田中灯京

語は「白服」で夏、「夏服」に分類。今日から「白服」に着替えたのだろう。男は女性ほどひんぱんに色調の異なる服には替えないので、着替えた当座はなんとなく照れくさいものだ。べつに誰が見ているわけでもないのに、あまり人の目につかないようなところを選びたくなる。そんな感じで、作者も自然に「プラットフォームの端」に足が向いたのだった。が、端っこに立っていても、どうも落ち着かない。面映いような気持ちだけが募ってくる。わかりますねえ。私はそういうときでなくても端が好きで、ひとりのときはいつも最後尾から乗車する。駅のどのあたりで待つかは、性格によるんだぜ。大学時代に友人からそう言われて、はっとしたことを思い出した。友人の説によれば、内向的な人間、引っ込み思案の人間は、たいてい端に立つ。それも先頭ではなく、最後尾のほうの端だということで、見事に当っているなと合点したのだった。それからしばらくというもの、ならば引っ込み思案を少しでも直そうとして、真ん中へんで待つことに努力したのだけれど、あえなく挫折。どうも、端でないと落ち着けなかったからだ。そういえば、別の友人で、いつも同じ位置に乗り合わせた女性と結婚したヤツもいたっけ。同じ性格だから、大いに気が合ったのだろう。『新歳時記・夏』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)


August 0582008

 白服の胸を開いて干されけり

                           対馬康子

い空白い雲、一列に並んだ洗濯物。この幸せを象徴するような映像が、掲句ではまるで胸を切り裂かれたような衝撃を与えるのは、単に文字が作り出す印象ではなく、そこに真夏の尋常ではない光線が存在するからだろう。白いシャツの上に自ら作りだす黒々とした影さえも、灼熱の太陽のもとでは驚くほど意外なものに映る。この強烈なエネルギーのなかで、なにもかも降参したように、あるものは胸を開き、あるものは逆さ吊りにされて、からからと乾いていくのである。しかし、お日さまをよく吸って、すっかり乾いた洗濯物の匂いは格別なもの。最近発売されている柔軟剤に「お日さまの香り」というのを見つけた。早速試してみたらどことなくメロンに近いものを感じるが、お日さまといえばたしかにお日さま。それにしても太陽の香りまで合成されるようになっている現代に、ただただ目を丸くしている。〈異国の血少し入っている菫〉〈初雪は生まれなかった子のにおい〉〈死と生と月のろうそくもてつなぐ〉『天之』(2007)所収。(土肥あき子)


June 1262011

 夏服や弟といふ愚かもの

                           石塚友二

たしには4人の姉がいました。親戚の集まりがある時には「松下の家は、女はしっかりしているが、男は頼りない」と言われてきました。子供の頃はともかく、いったんそのような印象がついてしまうと、こちらが老齢になっても、ずっと同じことを言われ続けています。おそらくこの句に出てくる弟も、世間から見たら特別に愚かだというわけでもないのでしょう。ただ、兄や姉から見た弟というものは、とかく愚かに見えてしまうと解釈した方がよいようです。それでも「愚か者」の言葉に含まれた愛情は、容易に感じることができます。男の夏服と言えば、せいぜい長袖が半袖のシャツに変るくらいで、季節が変わったからといって、さしてぱっとしません。無防備に半袖から伸びた腕も、頼りなげに見えている要因のひとつなのかもしれません。兄や姉という存在の深い愛情が感じられて、それからちょっとおかしくて、こういう句、とても好きです。『新日本大歳時記』(2000・講談社) 所載。(松下育男)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます