夏祭での陰惨な犯罪。いまのコミュニティと昔の地域共同体とは別物なのであった。




1998ソスN7ソスソス28ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

July 2871998

 英雄の息女の三人白夏服

                           中村草田男

戦前年の句。三人は「みたり」と読む。当時「英雄」といえば、戦死した人と解するのが普通であった。最近戦地で父親を失った娘たちが、三人ともいつもの夏と同じように、きちんと白い夏服を着用している。悲しみを払いのけるようなその凛とした姿に、作者はうたれている。これぞ「大和撫子」の鏡だと、大いに感じ入っている。ところで、こういう句は、実にコメントしにくい。なぜなら、この句は俳句の定型という以上に「時代の定型」を背負っているからだ。英雄の定義にしてからが「時代の定型」にしたがっているのだし、作者の心持ちも「時代の定型」につつまれており、もう一歩細かい心情には踏み込めないところがある。したがって、いまとなってのこの句は、一種の風俗詩としてしか読めないと言ったほうがすっきりしそうだ。作者はべつに時流におもねっているわけではないのだけれど、戦争に対して何も言っていないことも明白で、そこが限界ということになるのだろう。では、いまさら、なぜ、このような句を引いたのか。読み返しているうちに、上述の理由とあわせて、なんだかとても切なくなってきたからである。『来し方行方』(1947)所収。(清水哲男)


July 2771998

 向日葵や起きて妻すぐ母の声

                           森 澄雄

休みの朝は、普段とは違う独特の雰囲気がある。学校のない子供らはいつまでも寝ているし、親の日常ペースも狂いがちだ。この句の妻も、いつもよりは遅く起きたのだろう。雨戸を開け放つと、庭の向日葵にはすでに陽光がさんさんと降り注いでいる。もう、こんな時間……。妻はいきなり「母の声」になって、作者と子供らを起こしにかかる。そんな情景だ。半身を起こした作者に向日葵はいかにもまぶしく見え、それが「母の声」と見事にマッチしているなと感じている。そしてこの句の背景には、ささやかにもせよ、一家の生活の安定が感じられる。みんな元気だし、とりあえず思い煩うこともない。作者のこの安心感が、読者をも安心させるのである。この句が載っている『花眼』〔1969〕には敗戦後10年くらいからの句作が収録されており、ということは、人々の生活がようやく落ち着きを取り戻そうとしていた時期にあたるわけで、その意味からして「向日葵」の扱いも利いていると思う。「向日葵」だなんて暑苦しいばかりだという時代が、ついこの間まであったのだから。(清水哲男)


July 2671998

 無人島の天子とならば涼しかろ

                           夏目漱石

まり詮索しないほうがいいだろう。苦笑か微笑か、それが浮かんだところで終わりである。作者自身も、この句を書き送った井上藤太郎〔熊本の俳人、「微笑」と号した〕に、「近頃俳句などやりたる事もなく候間頗るマズキものばかりに候」と言っている。明治36〔1903〕年の句だから、ロンドンから戻ってきた年だ。同じ夏に「能もなき教師とならんあら涼し」もあるから、これからの東京帝大での教師生活がイヤでたまらなかったものと思われる。だいたい、いいトシをした男が「無人島」などと言い出すときには、ロマンチシズムのかけらもないのであって、たいていが現実拒否の感情が高ぶった結果の物言いなのである。その意味からすると、相当に不機嫌な句だ。「涼し」どころか、暑苦しい。詮索無用といいながら、思わずも詮索をはじめてしまった〔苦笑〕が、これは私の別の意味での不機嫌による。さきほど、たまたま開いた花田英三の新しい詩集『島』〔夢人館・1998〕は、こんなフレーズではじまっていた。「生きていくのに大事なことは/嫌なら他所へ行くことだ/俺が行きたいのは/架空の島」〔「旅でなく」〕。(清水哲男)




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