立秋まで二週間程。何もしないうちに夏が過ぎていく感じ。読むべき本はどっさり。




1998ソスN7ソスソス26ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

July 2671998

 無人島の天子とならば涼しかろ

                           夏目漱石

まり詮索しないほうがいいだろう。苦笑か微笑か、それが浮かんだところで終わりである。作者自身も、この句を書き送った井上藤太郎〔熊本の俳人、「微笑」と号した〕に、「近頃俳句などやりたる事もなく候間頗るマズキものばかりに候」と言っている。明治36〔1903〕年の句だから、ロンドンから戻ってきた年だ。同じ夏に「能もなき教師とならんあら涼し」もあるから、これからの東京帝大での教師生活がイヤでたまらなかったものと思われる。だいたい、いいトシをした男が「無人島」などと言い出すときには、ロマンチシズムのかけらもないのであって、たいていが現実拒否の感情が高ぶった結果の物言いなのである。その意味からすると、相当に不機嫌な句だ。「涼し」どころか、暑苦しい。詮索無用といいながら、思わずも詮索をはじめてしまった〔苦笑〕が、これは私の別の意味での不機嫌による。さきほど、たまたま開いた花田英三の新しい詩集『島』〔夢人館・1998〕は、こんなフレーズではじまっていた。「生きていくのに大事なことは/嫌なら他所へ行くことだ/俺が行きたいのは/架空の島」〔「旅でなく」〕。(清水哲男)


July 2571998

 暗く暑く大群衆と花火待つ

                           西東三鬼

火を待つのも句のように大変だが、打ち上げるほうは商売とはいえ、もっと大変だ。父が花火師だったので、よく知っている。両国の花火大会で言うと、打ち上げ船への花火の積み込みは正午までに終わらなければならない。それから仕掛けなどの準備を行う。炎天下、防火服を着ての作業だ。準備が完了しても、何人かは日覆いもない船に残る。19時10分から打ち上げ開始。その様子を、父は次のように書きとめている。「数百の小玉がいっせいに上がり、パリパリパリッといっせいに開花する。みんなは船板にはうように身をかがめ、じっと我慢する。そのうち火の粉や燃えかすがザーバラバラバラッと、われわれや防火シートの上に襲いかかる。燃えながらシートを直撃するのもある。これは恐ろしい。もし突き抜ければ、下にあるたくさんの連発が一度に発火し、大火災をおこすことになるからである。はじかれたようにみんなは起き上がり、バケツや火たたきでけんめいに火とたたかう。全部退治すると息つく暇もなく、次の仕掛の準備にかかる。火薬のついたものが露出するので、この間絶対に花火の演出はしないことになっている。連発の終わったものを片づけ、次の台を据えつけ速火線で連絡する。こうしたことを十回くらい繰り返す。暗がりで懐中電燈を照らしての仕事であるから、なかなか骨の折れることであった」〔清水武夫『花火の話』河出書房新社〕。(清水哲男)


July 2471998

 三日月の匂ひ胡瓜の一二寸

                           佐藤惣之助

い。パッと見せられたら、誰もがウムと唸る句だろう。ほのかに匂うような三日月を指して、一二寸の胡瓜のそれに似ていると言うのである。作者の才気煥発ぶりを感じさせられる。だが、この句には下敷きがある。一枚目のそれは其角の「梅寒く愛宕の星の匂かな」であり、二枚目のそれは芭蕉の「明ぼのやしら魚しろきこと一寸」である。下敷きがあっても構いはしないが、下敷きを知っている人には、どうしても原句にあるのびやかさが気になって、この句の空間が狭く思われてしまう。止むを得ないところだ。ところで、佐藤惣之助はご存じ「赤城の子守歌」〔東海林太郎・歌〕など多くのヒット歌謡曲を書いた人で、いわば「殺し文句の達人」であった〔自由詩の詩人としても実績がある〕。この句も、実に小気見よく決まっている。いつの時代にも、またどんなジャンルにあっても、クリエイターが大衆に受け入れられるための条件のひとつは「換骨奪胎」の巧みさにあるようで、かつて一度も登場したこともないような新しい表現物は確実に置いてきぼりにされてしまうのが常である。ただし、問題はそうしたことを苦もなくやってのけられる才能の側にもないわけではなくて、詩人としての佐藤惣之助が忘れられようとしているのは、たぶん、そのあまりにも巧みな「換骨奪胎」による「殺し文句」のせいであろうかと思われる。溢れ出る才能にも、悲しみはある。(清水哲男)




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