大暑。東京はまったくそんな感じがしない。にもかかわらず、バスの冷房は全開だ。




1998ソスN7ソスソス23ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

July 2371998

 ゆく船へ蟹はかひなき手をあぐる

                           富沢赤黄男

をゆく船に、蟹が手をあげて「おーい、おーい」と呼びかけている。白い大きな船と赤い小さな蟹。絵本にでも出てくれば、微笑ましく見えるシーンだ。が、俳人は「呼びかけたって、どうにもなりはしないのに」と、いたましげなまなざしで蟹を見つめている。行為の空しさを叙情しているわけだ。1935〔昭和10〕年の作品で、歴史を振り返ると、翌年には二・二六事件、翌々年には日華事変が勃発している。深読みかもしれないけれど、この句は来るべき戦争を予言しているようにも読めないことはない。このとき白い船は平和の象徴であり、赤い蟹は天皇の赤子〔せきし〕としての民衆である。行為の空しさを叙情することは、戦争遂行者にとっては危険きわまりない「思想」と写る。かつて、俳人や川柳作家が次々に検挙された時代があったなどとは容易に信じられない現代であるが、逆に言えば、叙情や風刺もまたそれほどの力を持っていたということになる。しからば、この句をこのようにして現代という光にあてて見るとき、叙情の力はどの程度のものだろうか。少なくとも私には、いまだに衰えを知らぬパワーが感じられる。なお、作者は新興無季俳句運動の旗手であったから、当然無季として詠んでいるのだが、当歳時記では便宜上、夏の季語である「蟹」から検索できるようにしておく。『昭和俳句選集』〔1977〕所収。(清水哲男)


July 2271998

 あきなひ憂し日覆は頭すれすれに

                           ねじめ正也

者はこのころ、高円寺〔東京・杉並〕商店街で乾物商を営んでいた。商品に日があたらないように、夏場はぐうんと店の日覆いを下げるのである。背の高い通行人だと、少しかがむようにしなければ店内の様子が見えないほどだ。なんとも、うっとおしい感じになる。それはしかし、店内で商売をしている人にとっても同じことで〔いや、それ以上だろう〕、夏は物が売れないこともあり、うっとおしさは増すばかりだ。頭すれすれの日覆いにさえ、つい八つ当たりしたくもなろうというもの。そこで、何の用事もないのに日覆いをくぐって表へ出てみると「炎天の子供ばかりの路次に出づ」ということになるわけで、憂鬱は募るばかりである。この句は『蠅取リボン』〔1991〕から引用したが、息子さんの作家・ねじめ正一君とのご縁で、私が拙い文章を添えさせてもらった句集だ。私はこの句ができたころ〔だろう〕に高円寺北のアパートに住んでいて、ねじめ乾物店では一度買い物をした覚えがあるが、残念ながら直接作者から買ったのかどうかは定かではない。(清水哲男)


July 2171998

 扇風機蔵書を吹けり司書居らず

                           森田 峠

った一人の司書がとりしきっている小さな図書館。作者は高校教師だったから、学校の図書室だろう。1981〔昭和56〕年の作品ということからしても、冷房装置のない図書館は他には考えられない。そんな暑い図書室に来る生徒はめったにいないので、いつも閑散としている。作者が本を借りようとしてカウンターに行ったところ、司書用の扇風機がまわっているだけで、姿が見えない。部屋にいるのが教師なので、彼は安心して少しの間席を外したのだろう。カウンターの背後には辞典や画集などの貴重本が並べられており、涼しげに扇風機からの風に吹かれている。窓の外からは、練習に励む野球部員たちの声…。学校の夏の図書室の雰囲気は、だいたいこういったものである。昔の公共図書館も同様で、この季節はあまり人気がなかった。ところが、最近の町の図書館は様相が一変してしまい、大にぎわいだ。ほどよく冷房はきいているし、おまけに静かだから、大いに混み合いだした。なかには昼寝の場所と心得ているとしか思えない人もいて、なかなかテーブルがあかないのには困る。はやく完璧な電子図書館ができてくれないものかと、勤勉な〔笑〕私が切に願うのがこの時期である。『逆瀬川』〔1986〕所収。(清水哲男)




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