季語が蟇の句

July 0971998

 鼻さきに藻が咲いてをり蟇

                           飴山 實

の花の咲いている池の辺で、作者は蟇(ひきがえる)を見つけた。蟇は俳人と違って風流を解さないから、鼻先に藻が咲いていようと何が咲いていようと、まるで意に介さずに泰然としている。当たり前の話ではあるが、なんとなく可笑しい。グロテスクな蟇も、ずいぶんと愛敬のある蛙に思えてくる。このあたりの技巧的表現は、俳句ワールドの独壇場というべきだろう。蟇の生態をつかまえるのに、こんなテもあったのかと、私などは唸ってしまった。なお、蝦蟇(がま)は蟇の異名である。蟇の研究をしている人の本を読んだことがあるが、彼らの世界には一切闘争という行為はないそうだ。そして、親分もいなければ子分もいない。私たち人間からすれば、まさに彼らは「ユートピア」の住人であるわけだが、数はどんどん減少しているという。誰が減らしているのかは書くだけ野暮というものだけれど、最近では確かに、滅多にお目にかかる機会がない。戦前のエノケンの歌の文句に、財布を拾ってやれ嬉しやと、明るいところでよく見てみたら「電車に轢かれたひきがえる……」というのがあった。それほどに、都会にもたくさん彼らはいたということである。『辛酉小雪』(1981)所収。(清水哲男)


May 3152000

 蟇歩くさみしきときはさみしと言へ

                           大野林火

。この場合は「ひき」と読ませているが、他に「ひきがえる」「がまがえる」「がま」とも。容貌怪異にして動作の鈍重なことから、芝居などでは妖怪のように扱われたりする。実際、こやつが暮れ方の庭の真ん中あたりに鎮座していると、ぎょっとさせられる。追ってもなかなか逃げないので、ますます不気味だ。しかし、研究者によると、その性温厚にして争いを好まない動物。なわばり争いはまったくなく、動物界きっての平和主義者なのだという。蚊などの虫を捕食してくれるから、無害有益。蟇は「見かけによらない」のだ。そんな蟇がのそりのそりと歩いている様子は、句のようにさみしさに耐えているようにも思われる。ここで作者は思わずも、さみしいのだったら、黙っていないで「さみしと言へ」と声をかけたくなった。励ましたくなった。ひるがえって、このときの作者の心中を推し量ると、やはり何かの「さみしさ」に耐えていたのだろうと思われる。その気持ちが、さみしげに歩行する蟇の姿に吸い寄せられた。裏を返せば、こうして蟇に呼びかけることで、作者は自分自身を激励したのである。『新日本大歳時記・夏』(2000・講談社)所載。(清水哲男)


May 2152001

 男女蟇の前後を分れ通る

                           ねじめ正也

者は、東京の高円寺で乾物屋を営んでいた。いつも必然的に、店の奥から通りの様子を見ていることになる。おっ、でっかい「蟇(がま)」公が出てきたな。しかも、通りの真ん中に平然とうずくまってしまった。こいつは見物(みもの)だ。行き交う人が、どんな反応するか。ヒマな店主としては、こんな瑣事でも娯楽になる。見ていると、折から通りかかったカップルが、これまた平然と「前後を分れ通って」行ってしまった。なあんだい、「キャッ」くらいは言ったらどうなんだいと、作者はがっかりしている。この「前後を」に注目。「左右を」ではない。つまり、うずくまった蟇は、道に添った方向に頭を向けているのではなくて、作者の方を向いているのだ。尻を向けているとも読めるが、それでは面白くない。せっかく目と目を合わせられる位置にいるのに、蟇はたぶん瞑目しており(いつもそのように見える)、作者のがっかりも互いの目線では伝わらない。独り相撲だったな。そこで、この句がポッとできた。昔の高円寺という郊外の町の夕暮時の雰囲気が、よく出ている。私はこの店を実際に知っているので、余計にそう感じるのかもしれない。いまは、子息のねじめ正一君の小説の題名から採った「高円寺純情商店街」と通りの名前も変わったけれど、ここは焼けなかったので戦前と同じ狭い道幅である。でも、もう蟇は出ないだろうな。1955年(昭和三十年)の作。『蝿取リボン』(1991)所収(清水哲男)


September 2892006

 秋茄子を二つ食べたるからだかな

                           栗林千津

さが身上の紫紺の秋茄子をいただいたからだがどうだと言うのか。内容だけみるとただごとに近いが、「からだかな」と置かれた強い切れは、食べたからだと食べられた秋茄子のその後を想像させる。何回か読み下してみると、ア音の多い明るい響きときっぱりした断定が消えた二つの秋茄子の輪郭をかえって鮮明に浮かび上がらせるようだ。「(動植物)を写生して親しむのではなく、対象に同化し、ときにそれらに変身してしまう」坪内稔典は句集の解説で千津の俳句について述べている。掲句の場合だと千津のからだが食べたはずの二つの秋茄子になって揺れ出すのかもしれない。彼女にとっての秋茄子は自分のからだと等量の存在なのだろう。同じ作者の句に「地続きに火噴く山ありひきがえる」「極寒期うまの合ひたる鮫とウクレレ」などがある。動植物を人になぞらえたり、対象に距離を置いて描写するのではない。秋茄子や、ひきがえると同じ次元に身を置いて、彼らと親しみ、入れ替わる通路を千津は見出したにちがいない。50歳半ばから俳句を始めた彼女は92歳で没するまで動植物との交流を中心に、日常の時空間から少しずれた俳句を作り続けた。『栗林千津句集』(1992)所収。(三宅やよい)


August 0682008

 蟇ひたすら月に迫りけり

                           宮澤賢治

るからにグロテスクで、人にはあまり好かれない蟇(ひきがへる)の動作は鈍重で、叫んでも小石を投げつけてもなかなか動かない。暗い藪のなかで出くわし、ハッとして思わず跳びすさった経験がある。その蟇が地べたにバタリとへばりついているのではなく、「月に迫りけり」と大きなパースペクティブでとらえたところが、いかにも賢治らしい。ピョンピョンと跳んで月に迫るわけではない。バタリ・・・バタリ・・・とゆっくり重々しく迫って行くのだろう。「ひたすら」といっても、ゆっくりとした前進であるにちがいない。蟇には日の暮れる頃から活動する習性があるという。鈍重な蟇と明るい月の取り合せが印象的である。もしかしてこの蟇は、銀河鉄道でロマンチックに運ばれて行くのだろうか。そんな滑稽な図を考えてみたくもなる。賢治に「春―水星少女歌劇団一行」という詩があり、「向ふの小さな泥洲では、ぼうぼうと立つ白い湯気のなかを、蟇がつるんで這つてゐます」という、蟇の登場で終わっている。賢治は少年期から青年期にかけて、さかんに短歌を作ったけれども、俳句には「たそがれてなまめく菊のけはひかな」という作品もある。彼の俳句については触れられることが殆どなく、年譜に「村上鬼城『鬼城句集』が出版され、・・・・愛好して後半作句の手引きとし揮毫の練習に用いた」(大正六年・二十一歳)と記されている程度である。蟇といえば、中村草田男の代表句の一つ「蟾蜍(ひきがへる)長子家去る由もなし」を思い出す。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)


July 2172009

 蝉生れ出て七曜のまたたく間

                           伊藤伊那男

曜(しちよう)とは太陽と月、火星、水星、木星、金星、土星をさし、これらを日曜から土曜までの曜日名とした7日間をいう。一ヵ月や一年というくくりがない、7種類の星の繰り返しが全てである七曜は、一週間を意味しながら、太陽系の惑星が連なる果てしない空間も思わせる。七日間といわれる蝉の一生は、もう出会うことのない月曜日、二度とない火曜日、と思うだに切ないが、それが運命というものだろう。何年か前、数日降り通しの雨がようやく上がった深夜の蝉の声に、ぎょっとしたことがある。命の限界を前に、切羽詰まったもの苦しいまでの鳴き声に、単なる憐憫とは異なる、どちらかというと恐怖に近い感情を抱いた。日本人の平均寿命の80年も、巨大な鍾乳洞でいえばわずか1cmにも満たない成長の時間である。それぞれの生の長さは、はたしてどれも一瞬なのだ。ままならぬ「またたく間」を笑ったり泣いたり、じっと辛抱したりしながら、懸命に生きていく。〈ひきがへる跳びて揃はぬ後ろ足〉〈くらければくらきへ鼠花火かな〉『知命なほ』(2009)所収。(土肥あき子)


June 0762011

 石棺に窓なかりけり蟇

                           神野紗希

になると毎年律儀にやってくる生きものに、庭の蟇と、玄関の守宮がいる。蟇は数年前からひと回り小さい新顔が加わった。門から続く踏み石に気に入りがあるらしく、それぞれ真ん中に堂々と居座っているため、人間の方が遠慮して踏み石をよけて行き来する。掲句では、石棺のなかの闇と、そこに詰められた空気の湿り気をじゅうぶんに伝えたのち、地上に八方睨みの態で仕えるがごとき蟇の姿が、哀愁を帯びた滑稽さで浮かびあがる。それは、わが庭の踏み石までもまるで石棺の蓋のように思わせ、頑として動かぬ蟇が奇妙な把手に見えてくる。地中からひしひしと這いのぼる夏を、大きな蟇が「まだまだ」、小さな蟇も「まだまだ」と息を合わせて押しとどめているようだ。このところ「石棺」「水棺」といえば、原子炉を封じ込める建造物として頻繁に登場する。どこか荒くれた神に鎮まっていただくようなその語感に、うさん臭さを感じるのはわたしだけではないだろう。古今東西、棺は常に破られ、出てくるのは不死身の化け物なのである。「俳句」(2011年6月号)所載。(土肥あき子)


April 2042013

 蟇ないて唐招提寺春いづこ

                           水原秋桜子

いづこ、について秋桜子自身が「感傷があらわに出すぎていけないと思っている」と、その著書『俳句になる風景』(1948)で述べている掲出句、水原春郎著『秋櫻子俳句365日』(1990・梅里書房)の四月二十日の一句である。ただ、作者は日記の類は嫌いだったということなので、この日に作られたとはかぎらない。蟇は夏季だが、鳴き始めるのは春であり、前出の自著の自解に「山吹のほかに何ひとつ春らしい景物のない講堂のほとりを現わし得ているつもり」とあるので、春を惜しんでいるのだろう。唐招提寺春いづこ、強い固有名詞と詠嘆、ふつうなら上五はさらりと添えるような言葉にするところ、蟇ないて、とこれも主張している。一見ばらばらなようでいて、上五中七の具体性が、感傷をこえた深い心情を感じさせる。(今井肖子)


July 1572014

 言霊の力を信じ滝仰ぐ

                           杉田菜穂

辞苑には言霊(ことだま)は「言葉に宿っている不思議な霊威。古代、その力が働いて言葉通りの事象がもたらされると信じられた」と解説される。日本の美称でもある「言霊の幸ふ国」とは、言霊の霊妙な働きによって幸福をもたらす国であることを意味する。沈黙は金、言わぬが花などの慣用句も言葉とは聖にも邪にもなることから生まれたものだ。そして滝の語源はたぎつ(滾つ)からなり、水の激しさを表し、文字は流れ落ちる様子を竜にたとえたものだ。胸底にたたむ思いも、また波立つもののひとつである。さまざまな思いを胸に秘め滝を仰ぐ作者に、水の言霊はどのような姿を見せてるのだろうか。〈猫好きと犬好きと蟇好き〉〈ウエディングドレスのための白靴買ふ〉『砂の輝き』(2014)所収。(土肥あき子)




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