久しぶりに電車に乗って久しぶりの新宿へ。東京には、こういう人もいるのです。




1998ソスN7ソスソス4ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

July 0471998

 河鹿鳴く夕宇治橋に水匂ふ

                           皆吉爽雨

都は宇治川畔の美しい夏の夕暮れの風情。絵葉書にしたいような旅人の歌だ。作者は中洲である塔の島あたりから、宇治橋を眺めているのだろうか。高い宇治橋の上からでは、水の流れる音しか聞こえないはずだからだ。そして何をかくそう、私がこの宇治橋の畔にひょろりと登場(笑)したのは、今から四十年前のことであった。当時の京都大学の新入生は、みな宇治分校なる「チョー田舎のボロ校舎」に集められたからである。で、最近この句に出会って考えるに、はたして宇治川辺りで河鹿が鳴いていたかということだが、まったくもって記憶がない。橋のたもとに出ていた屋台で、毎晩キャベツだけを肴に(なにしろキャベツは無料だったから)、共に飲んだくれていた佃学が生きていたら確かめようもあるのだけれど、それも適わない。大いに河鹿は鳴いていたのかもしれないが、旅人と違って、住みついた人間の耳や目は環境に慣れ過ぎてしまい鈍感になるので、こういうことになってしまう。一昨年の夏、多田道太郎さんのお宅をベースに、余白句会の仲間で宇治を訪れた。もちろん宇治橋も見に行った(!)が、もはやこの句のような美しさとは完璧に無縁であった。(清水哲男)


July 0371998

 俤や夢の如くに西瓜舟

                           石塚友二

まには回顧趣味満点の句もいいものだ。俤(おもかげ)は、作者少年時代の初恋の人のそれである。舞台は「水の都」と言われていた頃の新潟だ。当時の(大正期の)様子を、作者は次のように書き記している。「堀割が縦横に通っていた時分の新潟は、そこが舟の通路でもあったから、夏は西瓜を積んだ舟が通り、主婦や女中といった人達がそれを買うべく岸の柳の下に佇む風景が見られたものである。また夕刻には褄取った芸者達の柳の下を縫いながらお座敷へ行く姿もあった」。この様子からして情緒纏綿……。年経た作者(六十九歳での作句)の回顧趣味を誘いだすには、絶好の舞台装置である。なお、俤の人のその後の消息についても若干の記述があり、句そのものが触発する情緒には無関係であるが、こういうことであったようだ。「それから凡そ五十年後、ふとしたことからその人の消息を聞かされた。若くして結婚したが、良人との関係が巧く行かず、三十歳を過ぎたばかりで自殺し世を去った、と」。ちなみに「西瓜」は「南瓜」とともに秋の季語とされている。現代ではどうかと思うが、特に受験生諸君は注意するように(笑)。『自選自解・石塚友二句集』(1979)所収。(清水哲男)


July 0271998

 夕顔の男結の垣に咲く

                           小林一茶

集をめくっていて、ときどきハッと吸い込まれるような文字に出会うときがある。この場合は「男結(おとこむすび)」だ。最近はガムテープやら何やらのおかげで、日常的に紐を結ぶ機会が少なくなった。したがって「男結」(対して「女結」がある)という言葉も、すっかり忘れ去られてしまっている。が、たまに荷造りをするときなどには、誰もが男結びで結ぶことになる。ほどけにくい結び方だからだ。つい四半世紀前くらいまでは、言葉としての「男結」「女結」は生きていたのだから、それを思うと、私たちの生活様式の変わりようには凄まじいものがあって愕然とする。さて、肝腎の句意であるが、前書に「源氏の題にて」とあるので、こちらはおのずからほどけてくる。「夕顔」は源氏物語のヒロインのひとりで、十九歳の若さで急死した女性だ。彼女の人生のはかなさと夕顔の花のそれとがかけられているわけで、光源氏を「男結」の男に連想したところが、なんとも憎らしいほどに巧みなテクニックではないか。考えてみれば、一茶が見ているのは、単に垣根に夕顔が咲いている情景にすぎない。そんな平凡な様子が、名手の手にかかると、かくのごとくに大化けするである。俳諧、おそるべし。中村六郎校訂『一茶選集』(1921)所収。(清水哲男)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます