負けたっていいじゃないか。サッカーがなんぼのもんや。と言いつつ見てしまう私。




1998ソスN6ソスソス20ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

June 2061998

 梅雨ごもり眼鏡かけたりはずしたり

                           ジャック・スタム

國滋・佐藤和夫監修・訳の句集『俳句のおけいこ・MY HAIKU JOURNEY』(河出書房新社・1993)より。評者はこの1991年に東京で亡くなったアメリカの俳人が好きで、この句集を愛読している。ひとつには彼の俳句の下手なところが良く、下手は下手なりの愛敬があるのである。それに彼の句には英訳が付いていて(彼は英語と日本語で句を作った)、それを見て英語表現の面白さを知ることができる。この句の英語版は、Shut in by rain / puttkng on my glasses / taking them off. である。これを見ると、梅雨って単なるrainなのかァ。いま梅雨さなか。(井川博年)


June 1961998

 あひみての後の日傘をひるがへす

                           中尾杏子

作だと思う。情景としては、人と会った後で別れ際にさっと日傘をひるがえしたという女性の仕種を詠んでいる。これだけでも十分に華麗な身のこなしが伝わってくるが、それだけではない。百人一首でおなじみの「逢見ての後の心にくらぶれば昔は物を思はざりけり」(権中納言敦忠)の「あひみての」を踏んでいて、この言葉は会っていた相手と自分との関係を示唆している。すなわち「あひみる」は、たとえば『徒然草』に「男女の情けも、ひとへにあひみるをばいふものかは」とあるように、事は「男女の情け(男女の契り)」に関わっているのであり、ここを踏まえて読むと、句は日傘をひるがえす女の心理にまで到達していることがわかる。別れがたいところを、日傘をひるがえすことにより相手との関係を断ち切った……。そんな心理が魅力的に描かれている。作者には他に「惜春の真赤な卓に身を溶かす」などがある。この句もまた情意に満ちていて、凡手ではないことをうかがわせる。情景へのアクセスが素早く、しかも人間的に極めて美しいアクセス・アングルだ。「俳句文芸」(1998年6月号)所載。(清水哲男)


June 1861998

 学校をろうやにしているつゆの空

                           大橋清和

藤園主宰「おーいお茶俳句大賞」の第七回入賞句。作者は小学生か。雨降りつづきで、校庭で遊べない環境を「ろうや」みたいだと言っている。いかにも子供らしい発想を評価されての入選だろう。ただし、採り上げておいて文句を言うのも気がひけるが、私が選者だったら、この句によい点は入れない。子供としての作者の発想が、あまりにも類型的だからだ。それも、大人の描く子供像にはまり過ぎている。黛まどか主宰「東京ヘップバーン」のOL句にも共通する類型の「お化け」が、「らしさ」が鼻につく。最近はあちこちで子供の俳句大会が催されるが、入選句はおおむね類型沈没型であり、どうも面白くない。何かの雑誌で荒川洋治が讃めていた「群馬県異状乾燥注意報」のような破天荒な(?)発想の句のほうが、よほど子供らしいと思う。でも、作者の名誉のために付言しておけば、類型的であれ、表現力には確かなものを感じさせる。私がはじめて教室で作ったのは「春がきて小鳥さえずりたのしそう」という類型沈没の最たるものであり、思いだすのも恥ずかしい句だ。家に戻って父親に見せたら「こんなものは俳句じゃない」と一蹴された。こんなのに比べれば、大橋君の腕前はたいしたものではあるのだけれど。『十七文字のチカラコブ』(1996)所収。(清水哲男)




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