浅草で友人と一杯。デジカメを持って行ったが一枚も撮らず。どこも浅草みたいで。




1998ソスN6ソスソス14ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

June 1461998

 太初より昼と夜あり蛍狩

                           矢島渚男

者の夫人・矢島昭子さんに『山国の季節の中で』(紅書房・1998)という瀟洒なエッセイ集がある。信州での季節感に富んだ生活を折りに触れて綴ったもので、それぞれの文末には渚男の句が一句ずつ添えられている。この句は「蛍の頃」という文章に記されたものだ。「蛍火はどこかに忘れて来てしまった大切なものを思い出させてくれるような神秘の色だ。自分が生まれる前に出会ったような、夭折の天才たちが漂っているような、さまざまなことが湧いてくる」。ここで、文章と句がしっくりと照応している。ところで昭子夫人の子供の頃の蛍狩の思い出として「家の裏の葱畑から太そうな葱を一本折ってきて、それが蛍籠になる」とあるけれど、葱が蛍籠になるとは初耳だった。私の山口の田舎では、麦藁を編んで作るのが一般的だったが、工作の得意な友人は竹製のゴージャスな蛍篭を作ったりした。蛍狩にまつわるエピソードは多い。わが弟、小学生の昶が夢中になったあまりに、肥だめに転落した事件はいまだに語り草となっている。(清水哲男)


June 1361998

 夏痩せて嫌ひなものは嫌ひなり

                           三橋鷹女

こまで言いきれたら、さぞや気持ちがいいことだろう。言いたくても、なかなかこうすっぱりとは言いきれない。昔から人には素人栄養士みたいなところがあって、他人が少しでも弱っていると「ちゃんと野菜食べてる?」などと忠告したりする。言われた当人も、別の場面ではいっぱしの栄養士なのだからして、余計な忠告をうるさいと思いながらも、図星だから黙ってうなずくしかないのである。ここで鷹女が嫌悪しているのは、そうした他人からの無責任な忠告もさることながら、自分のなかに棲む栄養士的なる存在のそれに対してでもあったろう。つまり、句の憤りは、他人に向けられていると同時に自己にも向けられている。自分にも言い聞かせている。そう読まなければ、単なるわがまま句になってしまう。このとき、作者は三十七歳。1935年の女三十七歳といえば、もはや世の中に甘えたりすねたりできる年齢ではなかった。一見、無茶を言っていると写るが、実は万人の心の奥の本音をあっけらかんとさらしてみせているのだ。ここが非凡。現代はとりわけて、やれ栄養だのやれ健康増進だのと、かまびすしい世の中である。それだけに、句に共感する読者も多いと思う。『向日葵』所収。(清水哲男)


June 1261998

 提燈花要所に点る城の径

                           甲斐遊糸

燈花は釣鐘草ともいい、蛍袋の名でも知られる。先の二つは花の形状からの命名で、蛍袋はこの花に蛍を入れて遊んだことから名付けられたようだ。などと書くと、いかにも物知りみたいだが、提燈花をそれと意識して見たのは最近のことだ。この花のことは以前から気になっていて、よく行く野草園の植えられている場所まで知っているのだが、花季にめぐりあったことがなかった。ところが先日、放送局の応接机に何気なく目をやると、なんとたくさんの提燈花が無造作に活けられてあるではないか。誰に名前を聞かなくても、私にはすぐにわかった。ちょっと興奮した。その興奮の余韻で、実はこの句を角川版の歳時記から引いたのだが、なるほどこの見立ては面白い。城への径には、あたかも人が要所に提燈を配置したように提燈花が点(とも)っていたというのである。見立ては、下手をすると大野暮になる。その意味からすれば,この句は、野暮ギリギリのところでの寸止めが小気味よく利いていると思う。これ以上突っ込んだら、あざとくなる。作者は大串章主宰「百鳥」同人。(清水哲男)




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