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June 0961998

 金塊のごとくバタあり冷蔵庫

                           吉屋信子

後三年目の夏の句。いまでこそバターはどこの家庭にもあるが、戦中戦後はかなりの貴重品であった。冷蔵庫(電気冷蔵庫ではない)のある家も極めて少なく、それを持っている作者は裕福だったと知れるが、その裕福な人が「金塊」のようだというのだから、バターの貴重度が理解できるだろう。冷蔵庫のなかでひっそりと冷えているバター。それは食べ物ではあるけれど、食べるには惜しい芸術品のようなものですらあった。十歳を過ぎるころまで、私などは純正のバターを見たこともない。作者の吉屋信子は、戦前の少女小説などで一世を風靡した作家。先日、天澤退二郎さんに会ったとき、彼が猛烈なファンだったと聞いた。彼女の少女小説をリアルタイムで読めた年齢は、天澤さんや私の世代が最下限だろう。吉屋信子の俳句開眼は戦時中の鎌倉で、相当に熱心だったらしい。防空頭巾姿で例会に出かけてみたら、警報の最中で誰も来なかったという「たった一人の句会」も体験している。「ホトトギス」雑詠欄巻頭を飾ったこともある。自費出版で句集を出したいという夢を生涯抱きつづけていたが、適わなかった。出たのは没後二年目である。『吉屋信子句集』(1974)所収。(清水哲男)


July 1772001

 浜田庄司旧居の巨き冷蔵庫

                           辻 桃子

某の人となりを偲ぶというときに、業績ばかりではなく遺品も一つの手がかりとなる。故人を顕彰した記念館などに行くと、愛用した品々が展示されている。作家なら原稿用紙とか万年筆だとか、画家ならイーゼルとか絵筆の類だとか。それらもむろん興味深いが、句のようにさりげない生活道具もまた、故人の人となりを雄弁に物語る。故人がこの「巨き冷蔵庫」を気に入っていたかどうか、いや意識していたかどうかもわからないけれど、日常を共にしていたのは確かなことだから、いわゆる愛用品よりも生々しい手がかりとして迫ってくる。「浜田庄司」は陶芸家。バーナード・リーチとの親交や柳宗悦らと民芸運動を推進したことでも知られる。大正末期より益子(栃木県)に定住して、素朴な益子焼の味を生かし、質朴雄勁な作風を確立した。その作風と「巨き冷蔵庫」に、作者は通じるものを感じて、この句を得たのだろう。私は一度だけ、三十年ほど前に益子を訪ねたことがある。浜田庄司邸は見晴らしの良い土地に建っており、大きくて庄屋の家みたいだなと思った記憶がある。存命だったから、家のなかに「巨き冷蔵庫」が置かれているなどは知る由もなかった。いま調べてみたら、没くなったのは1978年(昭和五十三年)のことだった。『花』(1987)所収。(清水哲男)


July 2572005

 艶めくや女男と冷蔵庫

                           村岸明子

語は「冷蔵庫」で夏。むっ、こりゃ何だ。ぱっと読んだだけでは、わからなかった。雑誌などでたくさんの句を流し読んでいるうちに、そんな思いで目に引っかかってくる作品がある。わからないのなら飛ばしてしまえばよいものを、気にかかったまま次へと読み過ごすのも癪なので、たいていはそこで立ち止まって考える。そんな性分だ。いや、損な性分かな。掲句もその一つで、しばし黙考。なかなか解けないので、煙草に火をつける。と、やがて紫煙の向うから、この女と男の情景がぼんやりと姿を現してきた。そうか、そういうことなのか……。なるほど「艶めく」はずである。現われた情景は、電化製品売り場だった。そこで、若いカップルが「冷蔵庫」を選んでいる。ただそれだけの図なのだが、通りかかった作者には、その「女」が妙に艶めいて見えたのだった。これがたとえば書籍売り場だったりしたら、そういうふうには見えないだろう。冷蔵庫は、生活のための道具である。つまり、生活の匂いがある。それを二人で選んでいるということは、二人が同じ家で共に暮らそうとしているか、既に暮らしている事を前提にしているわけだ。だから、他の場所だったら何気なく見逃してしまうはずの見知らぬ「女」に目が行き、表情の微細な「艶」までを読み取ったのである。冷蔵庫を二人で選ぶという行為には、公衆の面前ながら、そこからもう二人きりの生活がはじまっていると言ってもよい。女性が艶めくのも、当然といえば当然だろう。句として少々こなれが悪いのは残念だけれど、突いているポイントは鋭い。俳誌「貂」(2005年8月・第119号)所載。(清水哲男)


May 2752015

 景気よく閉す扉や冷蔵庫

                           徳川夢声

この家庭でも、冷蔵庫が季節にかかわりなく台所のヌシになってから久しい。「冷蔵庫」が夏の季語であるというのは当然だけれど、今どき異様と言えば異様ではないか。同じく夏の季語である「ビール」だって、四季を通じて冷蔵庫で冷やされている。飲んべえの家では、冷蔵庫のヌシであると言ってもいい。だから歳時記で「冷蔵庫」について、「飲みものや食べものを冷やして飲食を供するのに利用される。氷冷蔵庫、ガス冷蔵庫などもあったが、今日ではみな電気冷蔵庫になり、家庭の必需品となった。」と1989年発行の歳時記に記されているのを改めて読んでみると、しらけてしまう。1950年代後半、白黒テレビ、電気洗濯機とならんで、電気冷蔵庫は三種の神器として家々に普及しはじめた。冷蔵庫の扉はたしかにバタン、バタンと勢いよく閉じられる。普及してまだ珍しい時代には、家族がたいした用もないのに替わるがわる開閉したものだ。せめて冷蔵庫の扉くらいは「景気よく閉す」というのだから、景気の悪い時代に詠まれた句かもしれない。辻田克巳には「冷蔵庫深夜に戻りきて開く」という句がある。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)




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