蟄」隱槭′闌蟄舌ョ闃ア縺ョ句

June 0461998

 雨あとの土息づくや茄子の花

                           松本一枝

蔵野市内の小学校の給食メニューに、今月が旬の食べ物として「茄子」があがっていた。昔は梅雨明け頃だったように思うが、今ではそういうことになってきたようだ。それはともかく、茄子は葉の蔭に淡い紫色の花をつける。よく見ると、なかなかに可憐で美しい花である。花になんて目もくれなかった少年時代に、この花だけには「ちょっと、いいな」と思った記憶がある。私の花への初恋だ。茄子は水をたくさんほしがる植物だから、さぞかし梅雨の季節は嬉しい気持ちだろう。作者にその知識があるかどうかは別にして、句は見事に雨上がりの後の茄子の花の美しさを表現しきっている。土が「息づく」と見えるのも、ひとつにはそこに茄子の花が咲いていたからである。野菜の花とは、総じて可憐であり命は短い。(清水哲男)


July 3172003

 ふだん着の俳句大好き茄子の花

                           上田五千石

語は「茄子の花」で夏。小さくて地味な花だが、よく見ると紫がかった微妙な色合いが美しい。昔から「親の意見となすびの花は千に一つの無駄がない」と言われるが、話半分にしても、見た目よりはずっと堅実でたくましいところがあるので、まさに「ふだん着」の花と言えるだろう。作者は、そんな茄子の花のような句が「大好き」だと言っている。作者のような俳句の専門家にはときおり訪れる心境のようで、何人かの俳人からも同様の趣旨の話を聞いたことがある。技巧や企みをもって精緻に組み上げられた他所行きの句よりも、何の衒いもなくポンと放り出されたような句に出会うと、確かにホッとさせられるのだろう。生意気を言わせてもらえば、私もこのページを書いていて、ときどき駄句としか言いようのない句、とんでもない間抜けな句に惹かれることがある。それもイラストレーションの世界などでよくある「ヘタウマ」の作品に対してではない。「ヘタウマ」は企む技法の一つだから、掲句の作者のような心持ちにあるときには、かえって余計に鼻についてしまう。純粋無垢な句と言うのも変だろうが、とにかく下手くそな句、「何、これ」みたいな句がいちばん心に染み入ってくるときがあるのだ。私ごときにしてからがそうなのだから、句歴の長いプロの俳人諸氏にあってはなおさらだろう。そしてこのときに「ふだん着」は、みずからの句作のありようにも突きつけられることになるのだから、大変だ。茄子の花のように下うつむいてひそやかに咲き、たくましく平凡に結実することは、知恵でできることではない。「大好き」とまでは言ったものの、「さて、ならば、俺はどうすんべえか」と、このあとで作者は自分のこの句を持て余したのではあるまいか。『琥珀』(1992)所収。(清水哲男)


June 1062013

 君はただそこにいるのか茄子の花

                           岡本敬三

ういう人に出会ったことはないが、私は子供のころから「茄子の花」が好きだった。低く咲く地味な花だが、よく見れば凛とした可憐な風情がただよっており、色彩も上品である。この句は、そうしたたたずまいの茄子の花に「君」と呼びかけていると解釈できるが、もう一方では、茄子の花のように控えめではあるが凛とした存在である人を念頭に詠まれたともとれる。作者の中では、おそらくそれらは同時に存在しているのではあるまいか。「そこにいるのか」と問われるほどに目立たない存在。そういう存在にこそ関心を抱き、敬愛の念を示す作者の心。世の中、こういう人ばかりだったらどんなに平和で静かなことだろうか……。作者の岡本敬三君は、この六月三日に他界した。六十二歳。彼こそがまず「そこにいたのか」と言ってもよいような控えめな人柄であった。合掌。俳誌「ににん」(10号・2003年4月)所載。(清水哲男)


August 2182013

 秋刀魚の目ひたすら遠し三尾買う

                           岡本敬三

三さんが私たちの余白句会に、何回かゲスト参加した時期があった。参加されなくなってしばらく経つなあと思っていたら、六月三日に亡くなったとの報に驚いた。以前は酒乱気味だったと聞いていたが、お会いした頃は目立ちたがらず、句会でも静かな存在だった。店先の秋刀魚であろう、その目に向けられたまなざしは静かに慈愛に満ちていて、「おいしそうに輝いているから買おう」という気持ちは、ここには働いていない。掲句を引用して、清水哲男は「秋刀魚を買うというごく普通の行為にしても、その底に、死んだ魚の目のありように触発されたからだと述べずにはいられない」とコメントしている。「一尾」ではなく、せめて「三尾」買ったところになぜかホッとできる。秋刀魚の「ひたすら遠」い目に惹かれて買ったのであろう。他に「君はただそこにいるのか茄子の花」という句があり、私には「茄子の花」に敬三自身が重なって感じられる。合掌。「ににん」51号(2013)所載。(八木忠栄)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます