今度はニンゲンがこわれた。昨日はほとんど寝て過ごした。メッタにないことだ。




1998ソスN5ソスソス31ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

May 3151998

 海南風時給八百六拾円

                           桐木榮子

からの湿った南風が吹いてくるアルバイト先。この蒸し暑さに耐えながらの忙しい仕事で、時給が八百六拾円だとは……。ともすると不機嫌になりそうな気持ちを取り直しつつ、今日も働く……。そんな心境の句だろう。海南風は、そのまま「かいなんぷう」と読む。西日本では「まじ」や「まぜ」とも呼ぶらしい。ところで、この句には作者による自註的短文が添えられているので、引用しておく。これを読むと、作者が自分のことを詠んだのではないことがわかるが、一般的には、以上の解釈のほうがノーマルだろう。「此の夏、大洗海岸のファーストフード店で、目撃した光景が一句になった。昼時の店内は既に満員だと云うのに、レジの前には行列が出来て、何となく殺気が漂っていた。レジ係の若い女性は、喧騒の中で老人客の注文する声が聞き取れずに幾度となく聞き返した。『おめえ! 頓痴気じゃねえのか』と老人客に罵られた刹那、店内は一瞬静まり返った。レジ係は透かさず注文を尋ね返し今度は了解した。上気した女性の顔が、私の心を打った」。俳誌「船団」(35号・1997)所載。(清水哲男)


May 3051998

 麥爛熟太陽は火の一輪車

                           加藤かけい

読、ゴッホの絵を連想した。ここにあるのはゴッホの太陽と、ゴッホ的な気質である。爛熟した麥の穂波にむせ返るような情景が、ぴしりと捉えられている。実際の麦畑に立った者でなければ、このような押さえ方はできない。「麦の秋」などと、多くの俳人は遠目の麦畑を詠んできた。作者については長谷部文孝氏の労作『山椒魚の謎』(環礁俳句会・1997)に詳しいが、同書によれば、この句には西東三鬼門の鈴木六林男から早速イチャモンがついた。「モチーフを明確に表出したとき、このようなことになる。俳句はこゝからはじまり、これは俳句ではない。感覚から表現へのプロセス作業を途中でナマけた天罰である」(「天狼」1963年11月号)。こんなふうに言われたら、私などは再起不能になりそうな酷評だが、私はこのときの六林男には与しない。簡明直截にして、しかも抽象化された世界。とても「感覚から表現へのプロセス作業を途中でナマけた」結果とは思えないからである。『甕』(1970)所収。(清水哲男)


May 2951998

 紙魚ならば棲みても見たき一書あり

                           能村登四郎

環境の変化のせいだろうか。最近は、めったに紙魚(しみ)を見かけることもなくなった。住環境の変化ばかりではなく、もっと大きな自然の働きによるものかもしれない。なにしろ人間サマの精子が激減しているというご時世だから、紙魚などの下等な虫が生きていくのは、さぞや大変なことなのだろう。じめじめとした暗いところを好み、本であれ衣服であれ、澱粉質のものにならば何にでも食らいつく(衣服についたほうの虫は「衣魚」)。仮に自分がそんな虫だったら、ぜひとも住んでみたい本があるという句だ。このとき、作者は78歳。それはどんな書物なのだろうか……。と、句の読者は必ず好奇心を抱くにちがいない。同時に、自分にもそんな本があるだろうか、あるとすれば、誰が書いた何という本なのか……と、自分自身に問いかけるはずである。もちろん私も考えたが、紙魚にまでなって住みつきたいと思う本はなかった。あなたの場合は、いかがでしょうか。『長嘯』所収。(清水哲男)




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