吉野家牛丼、韓国から撤退。慌ただしい食事スタイルとキムチなど別売のセコさと。




1998年5月7日の句(前日までの二句を含む)

May 0751998

 初夏だ初夏だ郵便夫にビールのませた

                           北原白秋

正十五年発表の白秋の俳句。この頃、白秋は荻原井泉水と論戦あり、そのせいもあってか、しきりと自由律俳句を作っている。それが変な俳人の句よりも面白い。また、白秋にはビールの句が多く(ビール好きだったのか)、これも珍しい。ビールの句を二句。「ビールだコップに透く君の大きい影」「桜は白いビールの空函がたくさん来た」。これで見ると、ビールを函入りでとっているのがわかる。いま、キリン・ビールの明治・大正・昭和三代の復刻ビールというのが大ヒットしているそうだが、この白秋のビールはもちろん大正のそれである。(井川博年)


May 0651998

 おそるべき君等の乳房夏来る

                           西東三鬼

着の季節。この句は、なんといっても乳房を「おそるべき」ととらえたところが斬新だ。もとよりいうところの「巨乳」をさしているのではなく、「君等の」とあるように、すべての女性の乳房に、作者は圧倒されている。このとき「おそるべき」は「恐るべき」であり、同時に「畏るべき」でもあるだろう。女性と母性の象徴としての乳房。夏はいつも、そのように崇高な生命力を掲げてやってくる。気力充実した、肉太の一筆書きを思わせる生命賛歌だ。ただ、ちょっと気がかりなのは、女性はこの句をどんなふうに読むのかという点だ。案外、感応しない人が多いかもしれない。しょせんは男にしかわからない句なのかもしれない。なんとなく、そんな気がしているのだが……。『西東三鬼句集』(角川文庫・絶版)他に所収。(清水哲男)


May 0551998

 草笛や子らの背丈をさだかには

                           山田みづえ

笛は高音を得意とするので、遠くからの音もよく聞こえてくる。島崎藤村の詩を引き合いに出すまでもなく、哀調を帯びた音色だ。わけあって子供たちと別れた作者は、どこからかかすかに聞こえてくる草笛の音に、幼子たちとの日々を思い出している……。が、悲しいことに、子供らの背丈をもはや知ることは適わない宿命を嘆いている。母親としての胸のつまる想いが、遠くの草笛によって誘いだされている。同じ作者に「こどもの日は悲母の一日や家を出でず」があるので、よけいにこの草笛の音色は身にしみてくる。ところで、最近では草笛を吹く人も少なくなったが、この季節の公園などに行くと、たまに吹いている年寄りがいたりする。たいていの人が得意げに吹き鳴らしているので、私は嫌いだ。吹き方ひとつで、「どんなもんだい」という心根のいやしさがわかってしまう。「アホか」と、私は聞こえなくなる風上の遠いところまで歩いていく。『忘』(1966)所収。(清水哲男)




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