季語が蟻の句

April 3041998

 迂回せぬ蟻天才と思ひけり

                           吉岡翠生

供の頃は、退屈しのぎによく蟻たちの様子を見て過ごした。ついでに、蟻塚に水をぶっかけるという非道なこともした。おおかたは集団で整然と行動する蟻だが、たまに単独行動をするヤツもいた。そんな蟻のことを、私はいまで言う「落ちこぼれ」だと思っていたが、作者は違う。「天才」と直感している。同じ決めつけにせよ、この見方のほうが、よほどいい。暖かい。とかく暗い方向へと傾きがちな私の感覚からすると、まことに羨ましい感性の持ち主と写る。よほど蟻が好きな人なのだろうか、同じ作者にこんな句もある。「追ふてゐるつもりの蟻が追はれをり」。ところで、最近はかがみこんで蟻を見ている子供など、ほとんどいなくなってしまった。たまに見かけると、この子はそれこそ「天才」かなと思ったりしてしまう。なお、季題としての「蟻」は夏に属する。念の為。「俳句文芸」(1997年7月号)所載。(清水哲男)


June 0961999

 夜の蟻迷へるものは弧を描く

                           中村草田男

の畳の上に、どこからか迷いこんできた蟻。電灯の光の下で、おのれが置かれた異環境から逃れようと、半狂乱の様子で歩き回っている。見ていると、蟻はまさに歩き回っているだけなのであって、同じ弧を描くばかりだ。その円弧から少し外れれば、簡単に脱出できるのに……。思えば人間もまた、迷いはじめるとこの蟻のように、必死に同じところをぐるぐる回りつづけるだけなのだろう。まことに格調高く、句は「迷へるもの」の真髄を言い当てている。説教でもなく自嘲でもなく、作者は冷静に自己納得している。そして、もとより作者は、この蟻を殺さなかっただろう。数多い草田男句のなかでも、屈指の名句だ。わずかに十七文字の世界で、これだけの大容量の世界を表出できる俳人は、そうザラにいるものではない。以下、余談。この句にそってではなかったが、このような趣旨のことを、ある新聞に書いたことがある。ご覧になった作者のお嬢さんが、そのコラムを切り抜いて仏壇に上げてくださったと仄聞した。決して、自慢しているのではない。草田男の仕事の偉大を思う一人の読者として、涙が出るほどに嬉しかったので、どこかに書きつけておきたかっただけ。『来し方行方』(1957)所収。(清水哲男)


June 2662000

 蟻が蟻負いゆく大歓声の中

                           辻本冷湖

が蝶の羽を引いていく。その様子を見て「ああ、ヨットのようだ」と書いた詩人がいる。ほほ笑ましいスケッチではあるにしても、掲句に比べれば、かなり凡庸な発想と言わざるを得ない。同じような庭の片隅などでのスケッチにしても、句は、仲間の蟻(傷ついているのか、もはや息絶えているのか)を懸命に引いていく姿を、実際には起きていない「大歓声」を心中に起こすことで活写してみせた。「大歓声」の分だけ、蟻の世界に食い込んでいる。蟻の生命とともに、作者も生きている。「ヨット」詩人にとっては、蟻や蝶の生命なんかどうでもよいわけだが、作者にはどうでもよくはないのである。実際、この句を読むと「がんばれよ」と、思わずも手に力が入ってしまう。ちっぽけな庭の片隅が、オリンピックの競技場くらいまでに拡大される。そういえば私にも、暑い庭先にしゃがみこんで、いつまでも蟻たちの活動ぶりを眺めていた頃があったっけ。一匹ずつつまみあげては方向転換をさせてみたり、彼らの巣にバケツで水をぶち込んでみたりと、相当なわるさもしたけれど……。掲句のおかげで、ひさしぶりに子供だった頃の夏を思い出した。玄関先に咲いていた、砂埃にまみれた松葉牡丹の様子なんかもね。『現代俳句年鑑2000』(現代俳句協会)所載。(清水哲男)


October 09102001

 山の蟻叫びて木より落ちにけり

                           大串 章

の作者にしては、珍しくイメージをそのまんまポイッと放り出したような句だ。面白い。むろん「蟻」は豚とちがって(笑)、おだてられなくても日常的に木には登るが、これが落っこちるという想像にまで私は行ったことがなくて、意表を突かれた。そうだなあ、登った以上は、なかには落っこちる奴だっているかもしれないな。それも「叫びて」というのだから、それこそ意表を突かれての不慮の落下なのだろう。百戦錬磨の「山の蟻」が足を踏み外すなんてことは考えられないので、よほどの思わぬ事態に遭遇したのか。「ああっ」と叫びながら、小さな「蟻」にとっては奈落の底と感じられるであろう所まで落ちていった。叫び声が「ああっ」かどうかは読者の思いようにまかされているけれど、そして決して「蟻」は叫ばないのだけれど、この叫び声が読者には確かに聞こえるような気がするという不思議。これも、俳句様式のもたらす力のうちである。叫びながら落ちていった「蟻」は、しかし、死ぬことにはならないだろう。人間である読者の常識が、そう告げている。そこに、句の救いがある。そして、しかしながら「蟻」の叫び声は読者の虚空にいつまでも残る。何故か。私たちが「蟻」ではなくて、ついに「人」でしかないからなのだ。なお、季語は「蟻」で夏に分類されている。俳誌「百鳥」(2001年10月号)所載。(清水哲男)


June 1062003

 平伏の火の父が見し蟻なるか

                           小川双々子

語は「蟻」で夏。平伏(へいふく)する父親の姿。誰だって、そんな屈辱的な父親の姿など見たくはない。想像もしたくない。が、かつての大日本帝国に生きた父親たちにとっては、抽象的にもせよ、平伏は日常的に強いられる行為であった。ニュース映画に天皇が登場するだけで、起立脱帽した日常を、いまの若者は信じられるだろうか。今日伝えられる某国の圧制ぶりをあざ笑う資格は、我が国の歴史からすると、誰にもありえない。しかし、今日の某国でもそうであるように、かつての心ある父親たちはみな「火の」憤怒を抑えつつ平伏し、眼前すれすれの地を自在に歩き回る「蟻」を睨んでいただろう。その「火の父」の無念を、作者は子として引き受けている。かっと、眼前の蟻を睨んでいる。「昭和二十年七月二十八日夜、一宮市は焼夷弾による空襲で八割が灰燼に帰した。僕の父は防空壕内で窒息死した。傍らに自転車が立つてゐた」と作者は書いている。平伏の果てが窒息死であったとは、あまりにも悲惨でやりきれない。作者が父と言うときには、必ずこの悲惨な事実を想起して当然だが、それを個人の問題に矮小化して詠まないところが双々子の句である。個人を超えて常に人間全体へと普遍化する意志そのものが、双々子のテーマであると言っても過言ではないだろう。だから、作者の父親の窒息死を知らなくても、掲句はきちんと読むことができる。ところで、父たちの平伏の時代はあの頃で終わったのだろうか。そのことについても、掲句は鋭く問いかけているようだ。『囁囁記』(1998・邑書林句集文庫)所収。(清水哲男)


June 0862004

 恍惚と蟻に食はれて家斃る

                           冨田拓也

語は「蟻」で夏。常識的にはシロアリだろうが、イメージ主体の句だから、むしろ普通の蟻と読んだほうが面白いかもしれない。食われて斃(たお)れたのは、家だ。だが、斃れたのは実は人間でもある。「恍惚として」の修辞が、そのことを告げている。暗いユーモア、ないしは自虐の悦楽とでも言えばよいのか。斃れることがわかってはいても、進行していく愉楽の誘惑を断ちきれない。そういうところが、私たち人間には、確かにあるのだ。傍からすればみじめな結果と見えようが、当人にはいわば豪奢な滅びの喜びと思える一瞬が……。そうした黒い感受性の上に想像を広げるのは自由詩の得意とするところで、俳句ではなかなかに難しい。俳句が短いこともあるけれど、もう一つ、俳句は元来が座の文芸だからである。たとえひとりで家に籠って詠むとしても、根本的に座と切れるわけにはいかないのだ。このときに、座は体面を重んじる。体面と言っても、いわゆる世間体とはちょっと違う。世間体も含むが、座を形成している社会的なコンセンサスを崩さないところに、体面尊重の必要が生じてくるということだ。したがって、ひとり恍惚としていては体面から外れてしまう。つまり、座を崩すことになる。その意味で、掲句は俳句としてきわめて危うい場所に立っていると読めた。表面的には体面を保っているのだが、真意は単なる家の倒壊を越えた、更に先の地点に置かれているとしか考えられないからだ。その地点は、明らかに体面などどうでもよろしい場所だからである。作者は二十四歳。第一回芝不器男新人賞受賞句集『青空を欺くために雨は降る』(2004)所収。(清水哲男)


July 1872004

 蟻歩む直に平にこの世あり

                           加藤耕子

語は「蟻」で夏。私に限らず、昔の子供はよく道端などにしゃがんで蟻の行列を見ていたものだった。「蟻が/蝶の羽をひいて行く/ああ/ヨットのやうだ」(三好達治「土」)。句の「直に」を何と読むのか、少し迷った。垂直の「直」と解して「ちょくに」と読んでみたが、どうも坐りが悪い。そこで「じかに」と読み直してみたら、なんだか急に自分が蟻のようになった感じがしてきて、こちらに決めた。たしかに蟻は、二本足で立って歩く私たちとは違って、ほとんど「直に」地面に身体が触れるようにして歩いている。しかも小さいから、行く手に多少のアップダウンがあろうとも、いま歩いている場所はいつもほぼ「平(たいら)に」感じられるのにちがいない。すなわち、蟻にとっての「この世」とは「直に平に」、どこまでも広がっているということだ。もちろんこれは人間の尺度から見た世界認識ではあるが、こんなアングルから蟻の歩行を捉えた作者は、このときに人間の傲慢不遜を思っていたのだろう。蟻には蟻の厳然たる「この世」があるのであって、そういうことを思ってもみない人間は何様のつもりなのだろうかと……。作者にそこまでの人間糾弾意識はないとしても、ここには小さな生き物に対しての敬虔の念がある。一読ハッとさせられ、やがてしいんとした内省意識に誘われる読者は多いだろう。「俳句研究」(2004年8月号)所載。(清水哲男)


July 0372009

 長持のやうなものくる蟻の道

                           蝦名石蔵

邨は名所旧跡に案内されると、絶景を見ないで、よくしゃがんで野草や蟻などを見ていたらしい。その場所を歩いた故人や先達に向ける思いも、その地の霊や自然に対する挨拶も、そういう態度が俳句というものの性格の歴史的な成り立ちに関わるという理解は間違ってはいまいが、その名のもとに図式的、通俗的な「挨拶」になっては一個の作品として生きてこない。その地、その場、その瞬間に生きて息づいているもろもろと「私」との一回性の出会が刻印されるのが「挨拶」の本意であろう。いわゆる「蟻」というものではないその日その瞬間に見たただ一個の蟻を通して、作者は他の誰でもない「自分」というものを確認しているのである。『遠望』(2009)所収。(今井 聖)


August 0482009

 蟻を見るみるみる小さくなる大人

                           小枝恵美子

人がしゃがめば子どもの目線になる。それだけで、ぐっと地面が近づいて見えるものだ。蟻を見つめ続けるうちに、みるみる身体が小さくなっていくような掲句は、まるでSF映画のようだが、見方を変えれば、蟻がどんどん大きく見えてくるということでもある。最初、黒い粒の行列にしか見えない姿が、凝視しているうちに、一匹ずつの顎の先に挟んでいるものまではっきりしてくるのだから、だんだんどちらが大きいかなどということがすっかり頭から消えてしまう。画家の熊谷守一は、自宅の庭で熱心に蟻を観察し「地面に頬杖つきながら、蟻の歩き方を幾年もみていてわかったんですが、蟻は左の二番目の足から歩き出すんです」と書く。東京都豊島区にある美術館となっている旧宅の壁には巨大な蟻が描かれている。彼こそ「みるみる小さくなる大人」だったに違いない。『ベイサイド』(2009)所収。(土肥あき子)


July 2172011

 蟻蟻蟻蟻の連鎖を恐れ蟻

                           米岡隆文

ンクリートに囲まれたマンション暮らしをしているとめったに蟻を見かけない。子供の頃は庭の片隅に座り込んで大きな黒蟻を指でつまんだり、薄く撒いた砂糖に群がる蟻たちの様子をじっと見つめていた。あの頃地面を這いまわっていた蟻はとても大きく感じたけど、今はしゃがみ込んで見つめることもなく蟻の存在すら忘れてしまう日常だ。蟻の句と言えば「ひとの目の中の  蟻蟻蟻蟻蟻」(富沢赤黄男)が思い浮かぶが、この込み入った字面の連続する表記が群がる蟻のごちゃごちゃした様子を表しているようだ。掲句の蟻は巣穴まで一列に行進する蟻から少し離れてぽつねんといるのだろう。その空白に集団に連なる自分の不安感を投影しているように思える。『隆』(2011)所収。(三宅やよい)


May 1852013

 蟻のぼるブロンズ像の長き脚

                           田口紅子

ょうど目の高さにブロンズ像の脚がある。そこを忙しなくのぼったりおりたりしている蟻、ついじっと見入ってしまう気持ちはよくわかる。地面を歩いている蟻ならまだ餌を運んでいたり捜したり、脇目もふらずかなりのスピードで歩いているのも納得だが、ブロンズ像である。蟻にしてみればそそり立つ絶壁、なぜここをのぼろうという気になったのか、自らを追い込みたいのか、案外楽しいのか、風の匂いの降ってくる方へひたすら近づこうとしているのか。そんなことを思いながら先日近所の神社へぶらりと行った折、狛犬の台座の石の隙間に蟻が餌を引きこんでいるのを発見、これも巣なのかな、と思いながらこの句を思い出した。ブロンズ像の顔のでこぼこに、風通しのよいひんやりとした足触りの隠れ家でもあるのかもしれない。『土雛』(2013)所収。(今井肖子)


July 2372013

 蟻の列吸はるるやうに穴の中

                           柿本麗子

は仲間の匂いをたどることで巣へ戻ることができるという。炎天下の一団が与えるイメージは、ルールを守り、ひたすら働き続け一生を終えるような、悲壮感にあふれる。くわえて、その身体の小ささと、漆黒であることも、切なさを倍増させているように思える。点は破線となり、密集し直線となって、巣穴へと続く。掲句の中七「吸はるるやうに」によって、蟻の列のゴールは得体の知れないおそろしげな暗黒の地底となった。童謡「おつかいありさん」とは対極にある蟻の素顔を見てしまったような気持ちにとらわれる。またこのたびあらたに、道を見失った蟻の列はDeath Spairalと呼ばれる弧をひたすら描くことや、働き蟻がすべてメスだということを知った。調べるほどにやるせなさは増すばかりである。『千の祈り』(2013)所収。(土肥あき子)


July 1372014

 秘湯なり纏はる虻と戦つて

                           矢島渚男

の十年くらいで日帰り温泉が増えました。かつての健康ランドが格上げされた感じで、気軽に温泉気分を味わえるので重宝しています。しかし、掲句の秘湯はそんなたやすいものではありません。鉄道の駅からも、高速のインターからも相当時間のかかる奥地です。時間をかけて、知る人ぞ知る秘湯に辿り着いた感慨を「なり」で言い切っています。また、山あいの秘湯なら、樹木が放つ芳香につつまれながら湯を肌にしみ込ませる幸福な時を過ごしており、その感慨もあります。けれども、天然自然は、そうやすやすと人を安楽にはさせません。自らも生まれたままの姿になって自然に包まれるということは、自然の脅威におびやかされるということでもあります。ここからは、ヒトvsアブの戦いです。吸血昆虫の虻からすれば、人肌は一生に一度のごちそうです。本能の赴くまま右から左から、前から後ろから、戦闘機のように攻撃をしかけてきます。作者はそれを手で払い、湯をかけたりして応戦しているわけですが、のんびりゆっくり秘湯にくつろぐどころではありません。しかし、それを嫌悪しているのではなく、これもふくめて「秘湯なり」と言い切ります。秘湯で虻と戦う自身の滑稽を笑い、しかし、この野趣こそが秘湯であるという宣言です。なお、虻は春の季語ですが、句集の配列をみると前に「崖登る蛇や蛇腹をざらつかせ」、後に「蟻の列食糧の蟻担ひゆく」とあり、「蛇」「蟻」は夏なので、夏の季題として読みました。『百済野』(2007)所収。(小笠原高志)


August 1082014

 尺取虫一尺二尺歩み行く

                           小林 凛

の夏、長野の山中で尺取り虫を見ました。登山口に置かれた木の机の上を、「く」の字「一」の字を繰り返し「歩行」するのですが、5cmほどの体長の全身を使って「歩行」するのであんがい速く、縦横1m程の机を5分程で一周するスピードでした。二周目に入って、この周回を延々と続けるのかと思っていたら、四隅の角から糸を垂らして見事地面に着地。自然界へと回帰していきました。掲句は、凛くんが11歳の時の作。句の直後に、「いじめられて学校を休んでいます。道で尺取り虫に出会いました。人生あせらずゆっくり行こうと思いました。」とあります。この句には「尺」の字を三度使って、その歩みを視覚化する工夫もあるようです。同じく11歳の作に「蟻の道シルクロードのごとつづく」「おお蟻よお前らの国いじめなし」「蟻の道ゆく先何があるのやら」。凛くんは、体が小さく生まれたせいで、小学校一年から五年までいじめの標的になります。そんな時、野山に出て俳句を作りました。凛くんにとって不登校を選んだことは、学校の四角い教室からの脱出であったと同時に、自然へと回帰していくことでもあったのでしょう。人間が作った教室という枠組よりもずっと広い、尺取り虫や蟻の道ゆく世界に接近し、そこに参加させてもらって、自身の居場所を俳句を作ることによって獲得していった。そんな、生きものとしての強さを物語っています。凛くんの眼は、接写レンズのように対象をくっきりとらえ、それを伝えています。8歳の作に「大きな葉ゆらし雨乞い蝸牛」。句の直後に「登校途中、大きな葉に蝸牛がはっているのを見て詠みました。」とあります。『ランドセル俳人の五・七・五』(2013)所収。(小笠原高志)


August 2882014

 蝦蟇公よ情報化社会と言ふらしい

                           山本直一

く短い足を大地に踏ん張る蝦蟇がのっしのっしと歩いてくる。スローテンポの蝦蟇と縁側で目があって思わず呟く一言。「情報化社会というらしい」押し寄せてくる情報に振り回される時代から少し距離を置いた言葉だ。メールにネットに便利になった分「時間がない」「時間がない」と追われる一方である。何てことはない。見なければいいだけの話。と開き直ってみるが、仕事もプライベートも情報依存度や高まるばかりである。情報に尻をたたかれて動くなんてバカバカしい。勝手に忙しがってろ、と蝦蟇公は太古から変わらぬ速度でのっしのっしと我が道をゆく。「先頭はだれが決めるの?蟻の列」「世渡りが下手とのうわさきりぎりす」小さな生き物たちと友達に語りかけるあたたかさで通じ合っている鳥打帽』(2014)所収。(三宅やよい)


June 2162015

 影を出ておどろきやすき蟻となる

                           寺山修司

影から日向に出て、おどろきやすい蟻となっている。光と熱の変化に、蟻は驚いているのかもしれない。しかし、蟻に、驚くという感性があるのだろうか。また、蟻の驚きを、作者は見たというのだろうか。中七下五が引っかかります。作者は寺山修司だから、これは写生のふりをした虚構であることは十分に考えられます。寺山は、現実と虚構を反転させることを得意としたからです。例えば、現実には生きている母の死亡広告を出したり、劇画「あしたのジョー」の作中で死んだ力石徹の葬式を現実に取り仕切ったりして、現実と虚構の境界を無化する企てを試み続けました。もし、掲句の「蟻」を「人」に入れ替えたらどうでしょう。「影を出ておどろきやすき人となる」。 家を出て 、町に出て、驚きやすい人になる。これなら、『家出のすすめ』『書を捨てよ、町へ出よう』の作者の句として筋は通ります。『花粉航海』(1975)所収。(小笠原高志)




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