「てくてくエンジェル」が「あと少しがんばって」と言います。余計なお世話だ。




1998ソスN4ソスソス28ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

April 2841998

 蛇穴を出て今年はや轢かれたり

                           竹中 宏

眠から覚めた蛇が穴から出てきた。が、すぐに、あっけなくも車に轢かれてしまった。なんというはかない生命だろう。突き放したような詠み方だけに、余計にはかなさがクローズアップされている。最近の東京では、青大将が出ただけで写真つきの新聞記事になる。それほどに珍しいわけだが、作者は京都の人だから、おそらくは実見だろう。作者について付言しておけば、高校時代から草田男の「萬緑」で活躍し、私とはしばらく「京大俳句会」で一緒だったことがある。当時、草田男に会う機会があり、「これからは君たちのような若い人にがんばってもらわなくては……」と激励された。二人とも詰襟姿で、雲上人に会ったようにガチガチに緊張したことを思い出す。直後、私は俳句をやめてしまったが、彼はその後も研鑽を積み、現在は俳誌「翔臨」を拠点に旺盛な作句活動を展開している。「翔臨」(1998・31号)所載。(清水哲男)


April 2741998

 武者幟雨空墨をながすなり

                           中村秋晴

風に泳ぐ鯉幟は華麗で美しいが、このように雨空の下の幟(のぼり)も面白い。一天にわかにかきくもってきて、あたかも墨をながしたような空模様。そこで、鯉幟も作者も「来るなら来てみろ」という気構えになったというところか。黒バックの鯉幟には、どこか生々しい息づかいのようなものが感じられる。ここで、おさらいの意味も込めて「幟」の定義。「本来は五月人形に添える定紋付の幟のことをいい、鍾馗(しょうき)の絵などを描いた。これは内幟といって武者人形の傍に立てられている。俳句で一般に詠まれているのは外幟すなわち戸外に立てる幟で、古くは戦場に見られた旗指物様の幟を戸外に立てたらしいが、今はそうした幟は少なくなり、ほとんど鯉幟となっている」(新潮文庫・新改訂版『俳諧歳時記』1968)。子供だったころの我が家には、祖父が贈ってくれた武者人形はあったけれど、ついに鯉幟とは無縁のままできてしまった。(清水哲男)


April 2641998

 たけのこよぼくもギブスがとれるんだ

                           畑上洋平

の子がバサリバサリと皮を脱ぐ。ぼくも、そんなふうにギブスが取れることになったぞ……。単純にして明解。薫風のように気持ちのよい句だ。作者は、おそらく中学生くらいの年頃だろう。詳しいことは、一切わからない。この句は「味の味」(株式会社・アイデア)という食べ物関係のPR誌(最新の5月号)に載っていた。以前にも書いたが、この雑誌には毎号食材を読み込んだ俳句が何句か掲載されていて、とくに選句が抜群に巧みであり、それこそ「味」がある。よほど俳句を読んできた人の選句だと思うが、その見事さにはいつも舌を巻いてしまう。各地の有名レストラン、北海道では「サッポロビール園」にも置いてあるそうだから、目にとまったら、ぜひ俳句を読んでみてください。ところで、筍といえば、若くて柔らかいうちに梅干しと一緒に漬けると美味だ。筍の漬物である。昔、母が漬けてくれて以後、食べる機会がないのが残念だが、ということは、あれは食料難時代の母の苦肉のオリジナル作品だったのかもしれない。(清水哲男)

[日南市の河野秀樹さんよりメール]朝日新聞社 新編折々のうた第五 大岡信 94年11月1日第一刷78ページ『地球歳時記90』平成3年所収。「上記の本は日本航空が世界の子供たちに自国語でハイクを作るよう呼びかけ、十九言語による応募作六万の中から、特選および入選作を選んで編んだ作品集。日本の子らは五七五だが、(中略)これは長野県の小学二年生畑上君、七歳。ギプスも竹の子の皮も、とれて爽快」。




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