野村修氏が亡くなった。エンツェンスベルガーの詩を教えてもらったのが40年前。




1998ソスN4ソスソス26ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

April 2641998

 たけのこよぼくもギブスがとれるんだ

                           畑上洋平

の子がバサリバサリと皮を脱ぐ。ぼくも、そんなふうにギブスが取れることになったぞ……。単純にして明解。薫風のように気持ちのよい句だ。作者は、おそらく中学生くらいの年頃だろう。詳しいことは、一切わからない。この句は「味の味」(株式会社・アイデア)という食べ物関係のPR誌(最新の5月号)に載っていた。以前にも書いたが、この雑誌には毎号食材を読み込んだ俳句が何句か掲載されていて、とくに選句が抜群に巧みであり、それこそ「味」がある。よほど俳句を読んできた人の選句だと思うが、その見事さにはいつも舌を巻いてしまう。各地の有名レストラン、北海道では「サッポロビール園」にも置いてあるそうだから、目にとまったら、ぜひ俳句を読んでみてください。ところで、筍といえば、若くて柔らかいうちに梅干しと一緒に漬けると美味だ。筍の漬物である。昔、母が漬けてくれて以後、食べる機会がないのが残念だが、ということは、あれは食料難時代の母の苦肉のオリジナル作品だったのかもしれない。(清水哲男)

[日南市の河野秀樹さんよりメール]朝日新聞社 新編折々のうた第五 大岡信 94年11月1日第一刷78ページ『地球歳時記90』平成3年所収。「上記の本は日本航空が世界の子供たちに自国語でハイクを作るよう呼びかけ、十九言語による応募作六万の中から、特選および入選作を選んで編んだ作品集。日本の子らは五七五だが、(中略)これは長野県の小学二年生畑上君、七歳。ギプスも竹の子の皮も、とれて爽快」。


April 2541998

 眼帯の朝一眼の濃山吹

                           桂 信子

く自然に両眼で見ているときよりも、眼帯をして見るときのほうが、物の輪郭などがはっきりと見える。色彩も濃く見える。そんな気がするだけなのかもしれないが、片目の不自由な分だけ、凝視する気持ちが強いからである。作者の見ている山吹も、昨日と同じ色をしているはずなのだけれど、眼帯をした今朝は、とくに色濃く感じられている。そして作者は、色鮮やかに見える山吹の花に託して、一眼にせよ、とにかく見ることのできている自分を、まずは喜んでいるのだろう。月並みな言い方だが、健康のありがたさは、失ってみてはじめてわかるものである。ところで、私は山吹が子供のころから好きだった。田舎にいたので、そこらへんにたくさん自生していた。いまの東京では、なかなか見られないのが寂しい。いまの私が日常的に見られるのは、吉祥寺通りにある井の頭自然文化園の垣根の外に植えられたものだけだ。山吹鉄砲などとても作れないような貧弱さではあるが、毎年、ちゃんと咲いてはくれている。注意していれば、バスの窓からもちらりと見える。『晩春』(1955-1967)所収。(清水哲男)


April 2441998

 苗床にをる子にどこの子かときく

                           高野素十

かにも「そのまんま俳句」の素十らしい作品だ。苗床などという場所に、普段は子供は立ち入らない。そこに子供がいたので、なかばいぶかしげに、作者は思わずも「どこの子か」と聞いたのである。そういえば、私が子供だったころには、よく「どこの子か」と聞かれた。いぶかしさもあってのことだろうが、半分以上は心配する気持ちからだったろう。それにしても、この「どこの子か」という聞き方は面白い。名前ではなくて、所属を聞いているのだ。名前よりも所属や所在、つまり身元の確かなことが重要だった。狭い田舎のことだから、それを答えると、どの大人も「ああ」と納得した。今はどうだろう。子供に「どこの子か」と聞くこともないし、第一、そんな聞き方をしたら警戒されてしまうのがオチだ。素十の「そのまんま俳句」も「そのまんま」ではなくなってきたということ。『初鴉』(1947)所収。(清水哲男)




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