蟄」隱槭′髴セ縺ョ句

April 2141998

 暗いなあと父のこゑして黄沙せり

                           小川双々子

沙(こうさ)の定義。春、モンゴルや中国北部で強風のために吹き上げられた多量の砂塵が、偏西風に乗って日本に飛来する現象。気象用語では「黄砂」、季語では「霾(つちふる)」と言う。どういうわけか、最近ではあまり黄砂現象が見られなくなってきた。かつての武蔵野では、黄砂に加えて関東ローム層特有の土埃りが空に舞い上がり、目を開けていられなくなるような時もあったほどだ。この句の「暗いなあ」は、そうした物理的な意味合いも含むけれど、作者にはそれがもっと形而上的な意味としても捉えられている。何気ない父親のつぶやきが、自然のなかに暮らす類としての人間の暗さに照応しているように思えたのである。暗い春。春愁などという言葉よりも、一段と深く根源的な寂しさを感じさせるこの作品に、双々子俳句の凄みを感じさせられる。『囁囁記』(1981)所収。(清水哲男)


April 2742001

 つちふるや嫌な奴との生きくらべ

                           藤田湘子

語は「つちふる」で春。漢字では「霾(ばい)」なる難しい文字で表記し、定義は風の巻き上げた砂塵が空中にかかったり降ったりすること。雨冠の下の「豸(むじな)偏に里」という字には「埋める」という意味があるそうだ。我が国の気象用語では、おしゃれに「黄砂」と言っている。こいつが発生すると、あちらこちらがじゃりじゃりとして、まことに鬱陶しいかぎりだ。「嫌な奴」のように、いちいち神経に触る。この句のよさは、還暦以前の若い読者には伝わらないかもしれない。言っている意味を表面的には受け止められても、何故こんなことを句にするのかと、作者の真意を測りかねる人が大半だろう。むろん還暦後ぴったりというわけではないけれど、その年齢あたりから、人は常に「死」を意識しはじめる。病床にある人のように濃厚ではないが、何かのきっかけで「死」がひょいと顔を出す。駆け出しの六十代である私なども、一度も「死」を思わない日はなくなってしまった。起床すると「死」を思い、逆に言えば生きていることの不思議を思い、そんなときには何故か「死んでたまるか」と一人力み返るのだから滑稽でもある。たぶん、黄色い微小な砂粒を浴びながらはるか年長の作者が思うことも、程度の差はあれ、同じような気がする。「生きくらべ」は稚気丸出しの表現に見えて、老人には刹那的に切実なそれなのだ。とにかく、自分がいま死んだら「嫌な奴」に負けてしまう。でも、かといって、そいつよりも長生きすることを、今後の生き甲斐にするわけでもないのである。ふっとそう思い、ふっと吐いてみたまで……。一瞬の恣意的な「生きくらべ」なのであり、年寄りの心の生理に、実にぴったりと通う句ができた。「俳句」(2001年5月号)所載。(清水哲男)


April 1742003

 人類の歩むさみしさつちふるを

                           小川双々子

語は「つちふる」で春。「霾」というややこしい漢字をあてるが、原義的には「土降る」だろう。一般的には、気象用語で用いられる「黄砂(こうさ)」のことを言う。こいつがやって来ると、空は黄褐色になり、太陽は明るい光を失う。その下を歩けば、はてしない原野を行くような錯覚に陥るほどだ。そしていま、作者もその原野にあって歩いている。そしてまた、作者には「つちふる」なかを歩く人の姿が、個々の人間ではなくて「人類」に見えている。類としての人間。その観念的な存在が、眼前に具体となって現れているのである。下うつむいておろおろと、よろよろと歩く姿に、人類の根源的な「さみしさ」を感じ取ったのだ。太古からの人類の歩みとは、しょせんかくのごとくに「さみしい」ものであったのだと……。「人類愛」などと言ったりはするけれど、普段の私たちは類としての存在など、すっかり忘れて生きている。一人で生きているような顔をしている。が、黄砂だとか大雪だとか、はたまた地震であるとか、そうした人間の力ではどうにもならぬ天変地異に遭遇すると、たちまち自分が類的存在であることを思い知らされるようである。その意味で、掲句は「人類」と言葉は大きいが、実感句であり写生句なのだ。名句だと思う。愚劣な戦争を傍観しているしかなかった私の心には、ことさらに沁み入ってくる。『異韻稿』(1997)所収。(清水哲男)


March 1432006

 つちふるや埃及といふ当て字

                           能村研三

語は「つちふる」。春、モンゴルや中国北部で強風のために吹き上げられた多量の砂塵が、偏西風に乗って日本に飛来する現象。気象用語では「黄砂」と言う。空がどんよりと、黄色っぽくなる。「つちふる」を漢字で書けば「霾」と難しい字で、この文字自体からも何やらただならぬ雰囲気が感じられる。さて、掲句の「埃及」は「エジプト」の漢字表記であり、作者は「つちふる」からこの表記をすっと連想している。「埃及」と見るだけで、なんとなく埃っぽい土地を思ってしまうが、実際、エジプトはあまり雨も降らないので埃っぽいところのようだ。ただし「埃及」は昔の中国の表記をそのまま日本が取り入れた言葉だそうで、古い中国語では外国を表記するときに、意味内容よりも音韻的な合致を重視したはずだから、この語に接した当時の中国人には埃っぽいイメージは感じられなかったかもしれない。でも、もしかしてイメージ的にも音韻的にも合致していたのだとしたら、これはたいした造語力である。句に戻ると、私たちの連想はむろん自由にあちこちに飛んでいくわけだが、俳句の世界からすると、この句のように自然現象から言葉それ自体へと飛び、その連想をそのまま句として成立させた作品は案外少ないのではないかと思われる。多くの句は自然に回帰するか、自然を呼び込もうとしているからだ。べつに、どちらがどうと言いたいわけじゃないけれど、句の「埃及」が眺める程にくっきりと見えるのは,きっとそのせいだろうと思ったことだった。「俳壇」(2006年4月号)所載。(清水哲男)


April 1142011

 霾天や喪の列長き安部医院

                           福田甲子雄

く俳句に親しんでいる人ならともかく、「霾」という漢字を読める人は少ないだろう。「ばい」と読み(訓読みでは「つちふる」)、句では気象用語でいう「黄砂」のことだ。一般的には黄砂に限らず、広く火山灰なども含めて言うようである。小さな町の名士の葬儀だろう。人望のあったお医者さんらしく、医院兼自宅で行われている葬儀には長い喪の列がつづいている。みんな、一度は故人の診察を受けたことのある人々である。空は折りからの黄砂のせいでどんよりと黄色っぽくなっており、あたり全体にも透き通った感じはない。どことなく黄ばんだ古い写真を思わせる光景である。このときの黄砂は偶然の現象だが、このどんよりした空間から感じられるのは、安部医院の歴史の古さであり、ひいてはこの医院にまつわるときどきの人々が織りなしてきた哀楽のあれこれだ。「霾」という季語を配したことによって、句は時間と空間の絶妙な広がりを持つことになった。作者の手柄は、ここに尽きる。『白根山麓』(1982)所収。(清水哲男)


April 1342013

 霾天の濃きがうすきに動きくる

                           近藤美好女

和九年の作なので混じりけのない?黄沙、それも相当本格的である。これを書いている今日、気象庁の黄沙情報図を見ると、北海道の一部を除いて日本列島全体が黄色く覆われているが、窓から見える東京の空は白く霞んでいて薄曇り、あまり実感はない。掲出句、濃きがうすきに、の漢字とひらがなに黄沙の色の違いがよく見えて、二つの助詞が遠近感をはっきり表している。そして、霾天の、と大きく表現することで、頭上に広がる空の彼方からより濃い砂埃がゆっくりと押し寄せてくる光景が目に浮かび、むずむずぞわぞわ恐ろしい。この句を引いた『ホトトギス雑詠選集 春の部』(1987・朝日新聞社)の作者の地名欄は、黄海道。朝鮮半島の中ほどの地と知れば、黄沙の臨場感も肯ける。(今井肖子)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます