G7が終った途端に円も株価も下落。相場は正直だ。特効薬は消費税の下げしかない。




1998年4月17日の句(前日までの二句を含む)

April 1741998

 この部屋に何用だつけ春の昼

                           渡辺善夫

しもが心当りのある体験だろう。老化現象ではないかという人もいるが、どうであろうか。だとすれば、私には小学生の頃から、よくこういうことが起きたので、物忘れに関しては天才的に早熟だった(笑)ことになる。何をしにこの部屋に来たのか。忘れてしまったときの対策は、私の場合、ひとつしかない。もう一度、元いた場所に戻ってみることである。双六の振り出しに戻るようにしてみると、たいがい思いだすことができる。最近は、それでも思いだせないときもままあるが、この場合はやはり老化現象かもしれない。でも、何かを忘れてしまうことも、たまには必要だ。というよりも、人間は常に何かを忘れつづけていないと生きていけない動物ではあるまいか。誰が言ったのか、それこそ忘れたけれど、ニワトリは三歩歩くと何もかも忘れてしまうのだそうだ。時々、ニワトリになりたくなる。「俳句文芸」(1998年4月号)所載。(清水哲男)


April 1641998

 菜の花の中を浅間のけぶり哉

                           小林一茶

風駘蕩。ストレス・ゼロの句。現代人も、こんなふうに風景を見られたら素晴らしいでしょうね。そして、こんなふうにうたうことができたとしたら……。浅間は、大昔から歌や物語に登場する名山です。が、広田二郎さんという国文学者の調べたところでは、『新古今集』の在原業平以来、例外なく信濃の住人以外の人が、この山をうたってきたのだそうです。つまり、地元の人としてうたったのは一茶がはじめてということで、文学史的にも価値のある一句ということになります。浅間の煙も地元の人にとっては、日常的にすぎてうたう気になどなれなかったのでしょうか。それにしても、最近は菜の花畑が見られなくなりました。信州にしても、もうこんなに広大な畑はないでしょう。どこかに残っていないかと思っていた矢先、昨日届いた「フォトやまぐち」(山口県広報連絡協議会)に、見渡すかぎり菜の花ばかりという秋穂町の風景写真が載っていました。山口県はわが故郷。トウダイモトクラシ。(清水哲男)


April 1541998

 闇に鳥を放つ痛みや投函す

                           佐藤清美

かにも若い女性らしい作品だ。二十代の句。投函したのはラブレターだろうか、それとも絶交の手紙だろうか。いずれにしても、推敲を重ねた文面ではないだろう。思いのタケを一気に書きつづったもので、だからこそ「闇に鳥を放つ」ような気分になっている。「闇に鳥を放つ」と、いったい鳥はどうするのだろうか。どうなるのだろうか。そんなことは、もちろん作者にはわからない。想像すること自体が、怖いことでもある。ましてや、この「鳥」を受け取る相手の反応などは、それこそ「闇」の中だ。作者の心の内には、そんな若さと荒々しい情念とが同居していて、この勢いにはかなわないなと思う。青春のひとつのかたちを力強く描いており、これからが楽しみな才能である。無季。『空の海』(1998)所収。(清水哲男)




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