NIFTY-SERVEの「SEE YOU」なる会員誌。何を言いたいのかが、さっぱりわからない。




1998ソスN4ソスソス9ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

April 0941998

 東京を蛇の目に走るさくらどき

                           澁谷 道

の人(女性)の句は難しい。自作について「自らが吐いた息のかたち」と述べている文章があり、まことにもって「息のかたち」のように、見えにくいのである。見えにくいが、しかし、大いに気になる句の多い人だ。この句もそのひとつだが、瞬間、何が走るのかがまずわからない。考えているうちに頭痛がしてきたので、冷蔵庫からビールを引き抜いてきた。そこで、ほろ酔いの解釈。「蛇の目」は同心円を指し、このことから大小二つの同心円を持つ舞台のことを「蛇の目回し」という。つまり、内側と外側の舞台を逆にまわしたりと、時間差をつけられるわけだ。そこで、作者は東京の環状線である山手線に乗っているのだと、ほろ酔い気分が決めつけた。沿線のあちこちには桜が咲いており、車窓から見ていると、舞台の「蛇の目回し」のように見える。電車は「蛇の目回し」さながらに、各所の桜を次々に置きざりにして走りつづけるのだからだ。なんともはや、せわしない東京よ。……という解釈は如何でしょうか。反論大歓迎です。『素馨集』(1991)所収。(清水哲男)


April 0841998

 囀やにんげんに牛集まつて

                           中田尚子

々とした牧場の光景だ。空には鳥(雲雀だろうか)の声があり、草の上には人なつこく寄ってくる牛たちがいる。すべて世はこともなし。のどかな光景だ。私に牧場体験はないけれど、「にんげんに牛集まつて」の描写のやわらかさにホッとさせられる、とてもよい気分になれた。鳥も牛たちも、そして「にんげん」も、ここでは大きな自然のなかに平等に溶けてしまっている。そこが句の眼目だ。だからこそ「人間」ではなくて、この場合はあえて「にんげん」なのである。それこそ、この句は作者の「にんげん」性の良質さに支えられた表現にちがいなく、読後すぐに格別の好感を抱いたというわけ……。ところで、牛といえば、以前から気になっている別の句がある。「さびしさに牛をあつめて手品せり」というのだが、どなたの作品なのでしょうか。数年前に雑誌かなにかで読んで、大いに気に入っているのだけれど、迂闊にも作者の名前を忘れてしまいました。作風からしてまだ若い俳人だと思いますが、ご存じの方がありましたら、ぜひともご教示くださいますように。「俳句界」(1998年4月号)所載。(清水哲男)


April 0741998

 美しき冷えをうぐひす餅といふ

                           岡本 眸

菓子は美しい。食べるには惜しいと思うことすらある。作者の師である富安風生に「街の雨鴬餅がもう出たか」という有名な句があるが、味わいたいという気持ちよりも、その美しさが春待つ心に通い合っている。この名句がある以上、風生門としてはめったな鴬餅の句はつくれないという気持ちになるだろう。つくるのであれば、満を持した気合いのもとにつくるのでなければならない。で、この句は、見事に師のレベルに呼応していると見た。単なる美しさを越えて、美を体感的にとらえたところで、あるいは師を凌駕しているとも言えるだろう。野球に例えれば、師弟で決めた鮮やかなヒットエンドランというところか。それにしても、「鴬餅」とは名づけて妙だ。名前自体が春を呼び込んでいる。そんなこともあって、たまに私のような酒飲みでも食べてみたくなることがある。森澄雄の句に「うぐひす餅食ふやをみなをまじへずに」とある。『母系』(1983)所収。(清水哲男)




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