1998N4句

April 0141998

 四月馬鹿傘さして魚買いに行く

                           有働 薫

イプリル・フールズ・デイ。この季題で詠むと、とかく馬鹿な行為を中心に置きがちだが、揚句はそんなこともなく、しかし、なんだかどこかでくすりと笑える。ちょいと切ない感じもある。平凡に生きることへの愛もある。この3月28日に東京は荻窪の大田黒公園(かつてのNHKラジオ番組「話の泉」でもお馴染みだった音楽評論家・大田黒元雄の豪邸跡)の茶室で開かれた「余白句会」での一句。ゲストで来てくれた岡田史乃さんがトップに推した作品だ。私は二位に選んだのだが、その後作者(詩人、俳号・みなと)と遠来の多田道太郎(俳号・道草)さんとのやりとりを聞いていたら、フランスでは「四月馬鹿」のことを「四月の魚(原語では複数)」というのだそうである。知らなかった。でも、なぜ「魚」なのだろう。物知りの八木幹夫(俳号・山羊)さんがすかさず「魚はキリストになぞらえられるから……」と推理してくれたが、正確なところはどうなのでしょうか。なお、当日の私の「馬鹿」な句は「馬鹿に陽気な薬屋にいて四月馬鹿」というものでした。お粗末。(清水哲男)


April 0241998

 機関車の蒸気すて居り夕ざくら

                           田中冬二

ういうわけか、昔の駅の周辺には桜の樹が多かった。駅舎をつくったときに、何もないのは寂しいというので、日本のシンボルとしての桜を植えたのかもしれない。東京でいうと、JRの国立駅などにその面影が残っている。したがって、この句のような情景は、当時はあちこちで見られたものである。頑強なイメージの機関車が吐きだす蒸気につつまれた、淡い夕桜の風情は、新文明のなかの花を抒情的にとらえている。眼前の現実そのものを詠んでいるのだが、どこか郷愁を感じさせるところに、抒情派詩人として活躍した作者の腕の冴えがいかんなく発揮されていると言えよう。情緒に傾き過ぎて、実は俳句にはあまりよい作品のない人だったけれど、この句はなかなかの出来である。第三句集『若葉雨』(1973)所収。(清水哲男)


April 0341998

 たそがれのなにか落しぬ鴉の巣

                           畑 耕一

までこそ、とくに都会では嫌われ者のカラスではあるが、かつては「七つの子」や「からすのあかちゃん」と歌にも歌われたように、人はカラスにむしろ親愛の情を抱いていた。頭がいいし、親子の情愛が深いところが好まれたのだろう。たそがれどき、高い樹の下を歩いていると、上の方からなにやら落ちてきた。ああ、きっとこの樹の上にはカラスの巣があるのだなと納得し、作者は暖かい気持ちになっている。カラスの巣は外側を枯れ枝で組み、内部には枯れ草や羽毛、獣毛などを敷く。この獣毛が動物園では問題で、井の頭自然文化園のヒツジの背中は、哀れにもすっかり禿げてしまっている。ここにはカラスが千羽ほどいるそうだが、かわりばんこにヒツジの背に飛来しては毛を失敬していくからである。上野の森のカラスは、なんとパンダの毛を巣づくりに使うという豪勢な話も聞いた。(清水哲男)


April 0441998

 山笑ふみづうみ笑ひ返しけり

                           大串 章

爛漫の風景句。たしかキャンディーズに「ほほえみ返し」という歌があったが、これはまたスケールの大きい「ほほえみ返し」だ。トリビアルで巧緻な仕組みの句もよいけれど、このように風景を大づかみにした作品も面白い。なによりも、読者としてはホッとさせられるところが心地よい。何事につけセコセコした世の中で、スケールの大きい句をつくることは非常に難しいと思うが、大串章はそれをいとも簡単な感じで作品化している。無技巧と見えるが、やはり長年技巧の波をかぶってきた作者ならではの境地の表出だろう。素人には、つくれそうでつくれない。プロの腕前と言うべきか。ちなみに「山笑ふ」は「春山淡冶にして笑ふが如く、夏山蒼翠にして滴るが如く、秋山明浄にして粧ふが如く、冬山惨淡として眠るが如し」(臥遊録)から、春の季題となった。『百鳥』(1991)所収。(清水哲男)


April 0541998

 生娘やつひに軽みの夕桜

                           加藤郁乎

女のことなどまだ何も知らない「生娘」が、夕桜の下でついつい少しばかり浮かれてしまっている様子に、作者はかなり強い色気を感じている。微笑ましい気持ちだけで見ているのではない。「つひに」という副詞が、実によくそのことを物語っている。江戸の浮世絵を見ているような気分にもさせられる。ということは、おそらく実景ではないだろう。男の女に対する気ままな願望が、それこそ夕桜に触発されて、ひょいと口をついて出てきたのである。「つひに軽みの」という表現にこめられた時間性が、この句の空想であることを裏づけている。もしも事実を詠んだのだとすれば、作者はずいぶんとヤボな男におちぶれてしまう。こういう句は好きずきで、なんとなく「江戸趣味」なところを嫌う読者もいると思う。ただし、上手い句であることだけは否定できないだろうが……。同じ作者の句「君はいまひと味ちがふ花疲れ」も、同じような意味で、かなり好き嫌いの別れそうな作品だ。桜も、なにかと人騒がせな花ではある。『江戸櫻』(1988)所収。(清水哲男)


April 0641998

 薮の小家より入学の児が出て来

                           村山古郷

蔭の小さな家。ふだんは人の気配もあまりないのだろう。老夫婦がひっそりと暮らしているような趣きの家だ。そんな家から、いきなりピカピカの一年生が飛び出してきた。この意外性に、作者は一瞬驚いたのだが、すぐになんだか嬉しい気持ちのわいてくる自分を感じている。この瞬間から、作者のこの小家に対する感じ方は、大きく変わったことだろう。今日は全国各地で入学式が行われる。石川桂郎に「入学の吾子人前に押し出だす」があるが、たぶん私も押しだされたクチである。内気を絵に描いたような子供だった。入学のとき、桜が咲いていたのかどうか、まったく覚えていない。敗戦の一年前のことで、入学後は警戒警報のサイレンが鳴るたびに、頭上にアメリカの偵察機や爆撃機を見ながら下校するというのが日常であった。すなわち、我らの世代は、小学校もロクに出ていないのである。(清水哲男)


April 0741998

 美しき冷えをうぐひす餅といふ

                           岡本 眸

菓子は美しい。食べるには惜しいと思うことすらある。作者の師である富安風生に「街の雨鴬餅がもう出たか」という有名な句があるが、味わいたいという気持ちよりも、その美しさが春待つ心に通い合っている。この名句がある以上、風生門としてはめったな鴬餅の句はつくれないという気持ちになるだろう。つくるのであれば、満を持した気合いのもとにつくるのでなければならない。で、この句は、見事に師のレベルに呼応していると見た。単なる美しさを越えて、美を体感的にとらえたところで、あるいは師を凌駕しているとも言えるだろう。野球に例えれば、師弟で決めた鮮やかなヒットエンドランというところか。それにしても、「鴬餅」とは名づけて妙だ。名前自体が春を呼び込んでいる。そんなこともあって、たまに私のような酒飲みでも食べてみたくなることがある。森澄雄の句に「うぐひす餅食ふやをみなをまじへずに」とある。『母系』(1983)所収。(清水哲男)


April 0841998

 囀やにんげんに牛集まつて

                           中田尚子

々とした牧場の光景だ。空には鳥(雲雀だろうか)の声があり、草の上には人なつこく寄ってくる牛たちがいる。すべて世はこともなし。のどかな光景だ。私に牧場体験はないけれど、「にんげんに牛集まつて」の描写のやわらかさにホッとさせられる、とてもよい気分になれた。鳥も牛たちも、そして「にんげん」も、ここでは大きな自然のなかに平等に溶けてしまっている。そこが句の眼目だ。だからこそ「人間」ではなくて、この場合はあえて「にんげん」なのである。それこそ、この句は作者の「にんげん」性の良質さに支えられた表現にちがいなく、読後すぐに格別の好感を抱いたというわけ……。ところで、牛といえば、以前から気になっている別の句がある。「さびしさに牛をあつめて手品せり」というのだが、どなたの作品なのでしょうか。数年前に雑誌かなにかで読んで、大いに気に入っているのだけれど、迂闊にも作者の名前を忘れてしまいました。作風からしてまだ若い俳人だと思いますが、ご存じの方がありましたら、ぜひともご教示くださいますように。「俳句界」(1998年4月号)所載。(清水哲男)


April 0941998

 東京を蛇の目に走るさくらどき

                           澁谷 道

の人(女性)の句は難しい。自作について「自らが吐いた息のかたち」と述べている文章があり、まことにもって「息のかたち」のように、見えにくいのである。見えにくいが、しかし、大いに気になる句の多い人だ。この句もそのひとつだが、瞬間、何が走るのかがまずわからない。考えているうちに頭痛がしてきたので、冷蔵庫からビールを引き抜いてきた。そこで、ほろ酔いの解釈。「蛇の目」は同心円を指し、このことから大小二つの同心円を持つ舞台のことを「蛇の目回し」という。つまり、内側と外側の舞台を逆にまわしたりと、時間差をつけられるわけだ。そこで、作者は東京の環状線である山手線に乗っているのだと、ほろ酔い気分が決めつけた。沿線のあちこちには桜が咲いており、車窓から見ていると、舞台の「蛇の目回し」のように見える。電車は「蛇の目回し」さながらに、各所の桜を次々に置きざりにして走りつづけるのだからだ。なんともはや、せわしない東京よ。……という解釈は如何でしょうか。反論大歓迎です。『素馨集』(1991)所収。(清水哲男)


April 1041998

 春宵や自治会の議事もめて居り

                           酒井信四郎

だ子供が小さかった頃、地域の方々にドッジ・ボールや運動会やお祭りで三人の娘たちがお世話になった。女房に尻を叩かれ自治会のお手伝いをしぶしぶ引き受けたことがある。議事は延々深夜に及んだ。最後に長老が一言、「こりゃあ、明日の晩、もう一度やるべえ」。なんとも楽しげに一同が賛成する。お茶をなん杯も飲み、漬物をつまみながら。何でも早く事を済ますのがいいわけではなさそうだ。若造の私ごとき短慮ではついていけない。もう一句、「国訛りさざめく春の県人会」。新潟小千谷生まれの元郵便局長さん、当年とって九十歳。『有峰』所収。(八木幹夫)


April 1141998

 桜散る個々に無数に社員踊り

                           村井和一

ささかタイミングを失した花見の会。散りゆく桜の下で、作者は大いに酩酊しているのだろう。「無数」にいるわけもない仲間の社員たちが、次々に勝手に(「個々に」)踊る姿が「無数」に見えるのも、年に一度の花見ならではのイリュージョンである。この統一感のない今宵の宴を、作者は好もしいとも思い、他方ではサラリーマンとして生きていることの寂しさを噛みしめる場ともとらえている。明日からは、また整然たる秩序のなかで、みんな働くのだ。飲むほどに酔うほどに、落花は「無数」とおぼしきほどに激しく、次第に「個々の」寂寥感も募ってくるようだ。古人曰く、「散るさくら残るさくらも散るさくら」と……。サラリーマンの哀歓を詠んだ句は多いが、なかでも異色と言うにふさわしい作品である。(清水哲男)


April 1241998

 春たのしなせば片づく用ばかり

                           星野立子

を開けたほうが暖かく感じる。そんな日がつづくと、洗濯や掃除など、主婦の仕事は大いにはかどる。はかどることが、また次の用事を片づけることに拍車をかけてくれる。洗濯や掃除といっても、立子の時代には洗濯機や掃除機があるわけではなし、主婦は大変であった。とくに作者の場合は、主婦業の他に、俳人としての仕事もあったわけで、ついつい先伸ばしにしていた「用」も、いろいろとあったことだろう。しかし、億劫に思っていた「用」も、やりはじめてみれば何のことはない。簡単にすんでしまう。それもこれもが、この明るい季節のおかげである。こういうことは、主婦にかぎらず、もちろん誰にでも起きる。春はありがたい季節なのだ。地味な句だが、季節と人間の関係をよくとらえていて卓抜である。『続立子句集第二』(1947)所収(清水哲男)


April 1341998

 靴裏に都会は固し啄木忌

                           秋元不死男

月十三日は石川啄木の忌日。したがって「啄木忌」は春の季語。1912(明治45)年、不遇と貧困のうちに二十七歳の若さで病没した。句は、都会での成功を夢見て破れた啄木の無念を想い、都会で生きる難しさを鋪道の固さで象徴している佳句だ。ところで、このように「忌日」を季語とすることについて、かつて金子兜太が次のように反対している。「人の死んだ忌日を、季語にしてしまうやり方は、不埒千万、季語そのものさえ冒涜するものと考えている。(中略)故人の業績や人がらをしのばせるのが目的ならかまわないが、季節までこれで連想させようとするのは行き過ぎである。俳人がぜんぶ戸籍係になっても、とても季節まで記憶できるものではない」(KAPPA BOOKS『今日の俳句』1965)。その通りだと、私も思う。句集を読んでいて、いちばん困るのが「……忌」である。季節もわからないし、第一「……」の部分がわからないので解読が不可能となる。たとえば太宰治の「桜桃忌」(6月19日)には季節感があるのでまだしも、芥川龍之介の「我鬼忌」(7月24日)になると、すぐに芥川の命日だと反応し、しかも夏の季語だとわかるのは、もはや特殊な教養人に限られてしまうのではあるまいか。(清水哲男)


April 1441998

 たばこ吸ふ猫もゐてよきあたたかさ

                           嵩 文彦

者は北海道札幌市在住。医師にして現代詩人。私と同世代で、最近は詩よりももっぱら俳句に力を入れているようだ。北海道の春の訪れは遅いので、暖かくなってくる喜びには、私のような「本土」に住む人間には計り知れないものがあると思う。だから「たばこ吸ふ猫」がいたっていいじゃないかと思えるほどに、嬉しい気分はほとんど天井知らずの高さにまで跳ね上がっている。そこで読者もまた、作者と同じ気分になって嬉しくなってしまうのだ。そういえば谷岡ヤスジの漫画に、煙管を銜えた呑気な牛が出てくるが、煙草を吸う猫も、ぜひとも彼に描いてもらいたくなった。ヒトとネコが一緒に煙草を吸いながら、あれこれと語り合う春のひととき……。うん、こいつは絶対にケッサクな漫画になるぞ。『春の天文』(1998)所収。(清水哲男)


April 1541998

 闇に鳥を放つ痛みや投函す

                           佐藤清美

かにも若い女性らしい作品だ。二十代の句。投函したのはラブレターだろうか、それとも絶交の手紙だろうか。いずれにしても、推敲を重ねた文面ではないだろう。思いのタケを一気に書きつづったもので、だからこそ「闇に鳥を放つ」ような気分になっている。「闇に鳥を放つ」と、いったい鳥はどうするのだろうか。どうなるのだろうか。そんなことは、もちろん作者にはわからない。想像すること自体が、怖いことでもある。ましてや、この「鳥」を受け取る相手の反応などは、それこそ「闇」の中だ。作者の心の内には、そんな若さと荒々しい情念とが同居していて、この勢いにはかなわないなと思う。青春のひとつのかたちを力強く描いており、これからが楽しみな才能である。無季。『空の海』(1998)所収。(清水哲男)


April 1641998

 菜の花の中を浅間のけぶり哉

                           小林一茶

風駘蕩。ストレス・ゼロの句。現代人も、こんなふうに風景を見られたら素晴らしいでしょうね。そして、こんなふうにうたうことができたとしたら……。浅間は、大昔から歌や物語に登場する名山です。が、広田二郎さんという国文学者の調べたところでは、『新古今集』の在原業平以来、例外なく信濃の住人以外の人が、この山をうたってきたのだそうです。つまり、地元の人としてうたったのは一茶がはじめてということで、文学史的にも価値のある一句ということになります。浅間の煙も地元の人にとっては、日常的にすぎてうたう気になどなれなかったのでしょうか。それにしても、最近は菜の花畑が見られなくなりました。信州にしても、もうこんなに広大な畑はないでしょう。どこかに残っていないかと思っていた矢先、昨日届いた「フォトやまぐち」(山口県広報連絡協議会)に、見渡すかぎり菜の花ばかりという秋穂町の風景写真が載っていました。山口県はわが故郷。トウダイモトクラシ。(清水哲男)


April 1741998

 この部屋に何用だつけ春の昼

                           渡辺善夫

しもが心当りのある体験だろう。老化現象ではないかという人もいるが、どうであろうか。だとすれば、私には小学生の頃から、よくこういうことが起きたので、物忘れに関しては天才的に早熟だった(笑)ことになる。何をしにこの部屋に来たのか。忘れてしまったときの対策は、私の場合、ひとつしかない。もう一度、元いた場所に戻ってみることである。双六の振り出しに戻るようにしてみると、たいがい思いだすことができる。最近は、それでも思いだせないときもままあるが、この場合はやはり老化現象かもしれない。でも、何かを忘れてしまうことも、たまには必要だ。というよりも、人間は常に何かを忘れつづけていないと生きていけない動物ではあるまいか。誰が言ったのか、それこそ忘れたけれど、ニワトリは三歩歩くと何もかも忘れてしまうのだそうだ。時々、ニワトリになりたくなる。「俳句文芸」(1998年4月号)所載。(清水哲男)


April 1841998

 シクラメンたばこを消して立つ女

                           京極杞陽

近はクリスマス頃に出回るので、シクラメンを冬の花と思っている人もいるようだが、本来は春の花だ。わが「むさしのエフエム」の窓辺でも、小さいながらいまを盛りと咲いている。句は、喫茶店の情景だろう。まだ人前で喫煙する女性が珍しかった時代(1941年・昭和16年)の句で、華麗なシクラメンとの取り合わせが、いかにも「大人の女」を連想させる。今風に言えば、美貌のキャリアウーマンが煙草を消してスッと席を立ったというところか。往年の人気雑誌「新青年」の小説の一シーンみたいでもある。いかにも格好がよろしい。ところで、喫煙の是非はおくとして、近頃は煙草を吸う若い女性が非常に目立つようになってきた。吸いながら、街頭を闊歩している。ひところのパリみたいだが、残念なことには、ほとんどの女性が煙草に似合っていない。吸い方がなってない。だから、みんな煙草に飢えたニコチン中毒患者のように見えてしまう。あの不格好な吸い方だけは、何とかならないものだろうか。『くくたち上巻』(1946)所収。(清水哲男)


April 1941998

 玉のせるかに春眠の童の手

                           上野 泰

野泰の春眠の句と言えば、先頃大岡信さんも「折々のうた」で取り上げていた「春眠の身の閂を皆外し」が有名だ。義父にあたる虚子が、第一句集『佐介』の序文に「新感覚派。泰の句を斯う呼んだらどんなものであらう」と書いているが、たしかに仕掛けのある句を多く詠んだ人だった。しかし、あえて横光利一などの事例を持ち出すまでもなく、「新感覚」は面白いと思っても、すぐに飽きてしまうところがある。それに比べれば、凡庸とも思えるこの句のほうが、長持ちがする。このあたりが、俳句に限らず文学の奥深いところであって、もとより創作者にとって「新感覚」は必要条件なのだが、それがともすると感覚倒れになってしまうケースがあるから、とても怖い。シャープな人ほど、転倒しやすい。ま、そんなことはともかくとして、この句に込められた父性ならではの滋味を、じっくりと味わっていただきたい。『佐介』(1950)所収。(清水哲男)


April 2041998

 すかんぽのひる学校に行かぬ子は

                           長谷川素逝

原白秋に「すかんぽの咲く頃」という童謡があり、歌い出しは「土手のすかんぽジャワ更紗……」である。すかんぽ(酸葉)は、歌の通りに、昔は川の土手や野原などに密集して生えていた。歌は小学生たちの学校への行き帰りの情景を生き生きと描いたもので、句はこの童謡を踏まえていると思われる。詠まれている子は、今で言う登校拒否児とは違って、目覚めてからふとサボりたくなったのだろう。家にいると叱られるので、一応登校するふりをして近所の河原で所在なく時が過ぎるのを待っているのだ。こんなことなら、学校に行ったほうがよかったかな。そんな後悔の念もわいてくる。しかし、春の時間は遅々として進んでくれない……。そして作者にも、同様な思い出があるのかもしれなく、むしろ微笑してそんな子供を眺めている。なんだか、大人でも仕事をサボりたくなるような、春の真昼時だ。最近では「すかんぽ」と言っても、知らない人が増えてきたのには寂しい気がする。(清水哲男)


April 2141998

 暗いなあと父のこゑして黄沙せり

                           小川双々子

沙(こうさ)の定義。春、モンゴルや中国北部で強風のために吹き上げられた多量の砂塵が、偏西風に乗って日本に飛来する現象。気象用語では「黄砂」、季語では「霾(つちふる)」と言う。どういうわけか、最近ではあまり黄砂現象が見られなくなってきた。かつての武蔵野では、黄砂に加えて関東ローム層特有の土埃りが空に舞い上がり、目を開けていられなくなるような時もあったほどだ。この句の「暗いなあ」は、そうした物理的な意味合いも含むけれど、作者にはそれがもっと形而上的な意味としても捉えられている。何気ない父親のつぶやきが、自然のなかに暮らす類としての人間の暗さに照応しているように思えたのである。暗い春。春愁などという言葉よりも、一段と深く根源的な寂しさを感じさせるこの作品に、双々子俳句の凄みを感じさせられる。『囁囁記』(1981)所収。(清水哲男)


April 2241998

 春の蔵でからすのはんこ押してゐる

                           飯島晴子

からないといえば、わからない。だが、ぱっと読んで、ぱっと何かが心に浮かぶ。そして、それが忘れられなくなる。飯島晴子の俳句には、そういうところがある。一瞬にして読者の想像力をかきたてる起爆剤のようだ。たとえば、ある読者はおどろおどろしい探偵小説の一齣と思うかもしれないし、また別の読者は昔の子の無邪気に遊ぶ姿を想像するかもしれない。前者は「春の蔵」の白壁の明るさに対して「からす」に暗さや不吉を読むからであり、後者は「からすのはんこ」に子供らしい好奇心のありかを感じるからである。もちろん、作者自身の描いたイメージは知るよしもないけれど、知る必要もないだろう。よく読むと、この句では主体も客体も不明である。いったい誰が「からすのはんこ」を押しているのだろうか。はっきり見えるのは「春の蔵」だけなのであって、結果的に作者は「春の蔵」の存在感だけを感じてくれればよいと作ったのかもしれない。何度も読んでいるうちに、そう結論づけたくもなってきた。しかし、彼女の句はそんな結論なんかいらないと言うだろう。『春の蔵』(1980)所収。(清水哲男)


April 2341998

 蜂に蜜我等にむすび林檎咲く

                           矢島渚男

檎の花を見たことがない。正確に言えば、見たはずなのだが記憶にない。敗戦後、林檎がまだ貴重品だったころ、山口県で百姓をはじめた父が、京都の「タキイ種苗」あたりから取り寄せたのだろう。庭に、林檎の種を何粒か蒔いた。一本だけが小学生の背丈ほどにひょろひょろっと生長し、小さな実を一つだけつけた。だから、当然花は咲いたのであり、私が見なかったはずはない。秋になって、一つの林檎を家族四人で分けて食べた。ひどく固くて酸っぱかった記憶のほうはある。後年、林檎の研究家にこの話をしたら、当時としては林檎生産の南限記録だろうと言われた。新聞社に知らせれば、絶対に記事になったはずだとも……。作者は信州の人。この春もまた、可憐な林檎の花盛りを堪能されていることだろう。(清水哲男)


April 2441998

 苗床にをる子にどこの子かときく

                           高野素十

かにも「そのまんま俳句」の素十らしい作品だ。苗床などという場所に、普段は子供は立ち入らない。そこに子供がいたので、なかばいぶかしげに、作者は思わずも「どこの子か」と聞いたのである。そういえば、私が子供だったころには、よく「どこの子か」と聞かれた。いぶかしさもあってのことだろうが、半分以上は心配する気持ちからだったろう。それにしても、この「どこの子か」という聞き方は面白い。名前ではなくて、所属を聞いているのだ。名前よりも所属や所在、つまり身元の確かなことが重要だった。狭い田舎のことだから、それを答えると、どの大人も「ああ」と納得した。今はどうだろう。子供に「どこの子か」と聞くこともないし、第一、そんな聞き方をしたら警戒されてしまうのがオチだ。素十の「そのまんま俳句」も「そのまんま」ではなくなってきたということ。『初鴉』(1947)所収。(清水哲男)


April 2541998

 眼帯の朝一眼の濃山吹

                           桂 信子

く自然に両眼で見ているときよりも、眼帯をして見るときのほうが、物の輪郭などがはっきりと見える。色彩も濃く見える。そんな気がするだけなのかもしれないが、片目の不自由な分だけ、凝視する気持ちが強いからである。作者の見ている山吹も、昨日と同じ色をしているはずなのだけれど、眼帯をした今朝は、とくに色濃く感じられている。そして作者は、色鮮やかに見える山吹の花に託して、一眼にせよ、とにかく見ることのできている自分を、まずは喜んでいるのだろう。月並みな言い方だが、健康のありがたさは、失ってみてはじめてわかるものである。ところで、私は山吹が子供のころから好きだった。田舎にいたので、そこらへんにたくさん自生していた。いまの東京では、なかなか見られないのが寂しい。いまの私が日常的に見られるのは、吉祥寺通りにある井の頭自然文化園の垣根の外に植えられたものだけだ。山吹鉄砲などとても作れないような貧弱さではあるが、毎年、ちゃんと咲いてはくれている。注意していれば、バスの窓からもちらりと見える。『晩春』(1955-1967)所収。(清水哲男)


April 2641998

 たけのこよぼくもギブスがとれるんだ

                           畑上洋平

の子がバサリバサリと皮を脱ぐ。ぼくも、そんなふうにギブスが取れることになったぞ……。単純にして明解。薫風のように気持ちのよい句だ。作者は、おそらく中学生くらいの年頃だろう。詳しいことは、一切わからない。この句は「味の味」(株式会社・アイデア)という食べ物関係のPR誌(最新の5月号)に載っていた。以前にも書いたが、この雑誌には毎号食材を読み込んだ俳句が何句か掲載されていて、とくに選句が抜群に巧みであり、それこそ「味」がある。よほど俳句を読んできた人の選句だと思うが、その見事さにはいつも舌を巻いてしまう。各地の有名レストラン、北海道では「サッポロビール園」にも置いてあるそうだから、目にとまったら、ぜひ俳句を読んでみてください。ところで、筍といえば、若くて柔らかいうちに梅干しと一緒に漬けると美味だ。筍の漬物である。昔、母が漬けてくれて以後、食べる機会がないのが残念だが、ということは、あれは食料難時代の母の苦肉のオリジナル作品だったのかもしれない。(清水哲男)

[日南市の河野秀樹さんよりメール]朝日新聞社 新編折々のうた第五 大岡信 94年11月1日第一刷78ページ『地球歳時記90』平成3年所収。「上記の本は日本航空が世界の子供たちに自国語でハイクを作るよう呼びかけ、十九言語による応募作六万の中から、特選および入選作を選んで編んだ作品集。日本の子らは五七五だが、(中略)これは長野県の小学二年生畑上君、七歳。ギプスも竹の子の皮も、とれて爽快」。


April 2741998

 武者幟雨空墨をながすなり

                           中村秋晴

風に泳ぐ鯉幟は華麗で美しいが、このように雨空の下の幟(のぼり)も面白い。一天にわかにかきくもってきて、あたかも墨をながしたような空模様。そこで、鯉幟も作者も「来るなら来てみろ」という気構えになったというところか。黒バックの鯉幟には、どこか生々しい息づかいのようなものが感じられる。ここで、おさらいの意味も込めて「幟」の定義。「本来は五月人形に添える定紋付の幟のことをいい、鍾馗(しょうき)の絵などを描いた。これは内幟といって武者人形の傍に立てられている。俳句で一般に詠まれているのは外幟すなわち戸外に立てる幟で、古くは戦場に見られた旗指物様の幟を戸外に立てたらしいが、今はそうした幟は少なくなり、ほとんど鯉幟となっている」(新潮文庫・新改訂版『俳諧歳時記』1968)。子供だったころの我が家には、祖父が贈ってくれた武者人形はあったけれど、ついに鯉幟とは無縁のままできてしまった。(清水哲男)


April 2841998

 蛇穴を出て今年はや轢かれたり

                           竹中 宏

眠から覚めた蛇が穴から出てきた。が、すぐに、あっけなくも車に轢かれてしまった。なんというはかない生命だろう。突き放したような詠み方だけに、余計にはかなさがクローズアップされている。最近の東京では、青大将が出ただけで写真つきの新聞記事になる。それほどに珍しいわけだが、作者は京都の人だから、おそらくは実見だろう。作者について付言しておけば、高校時代から草田男の「萬緑」で活躍し、私とはしばらく「京大俳句会」で一緒だったことがある。当時、草田男に会う機会があり、「これからは君たちのような若い人にがんばってもらわなくては……」と激励された。二人とも詰襟姿で、雲上人に会ったようにガチガチに緊張したことを思い出す。直後、私は俳句をやめてしまったが、彼はその後も研鑽を積み、現在は俳誌「翔臨」を拠点に旺盛な作句活動を展開している。「翔臨」(1998・31号)所載。(清水哲男)


April 2941998

 やまざくら一樹を涛とする入江

                           安東次男

っそりとした入江に、一本の山桜の姿が写っている。あまりにも静かな水面なので、涛(なみ)がないようにも見えるのだが、山桜の影の揺れている様子から、やはり小さな涛があると知れるのである。いかにもこの人らしい、いわば完璧な名調子。文句のつけようもないほどに美しい句だ。すでにして古典の趣きすら感じられる。「俳諧」というよりも「俳芸」の冴えというべきか。そこへいくと同じ山桜でも、阿波野青畝に「山又山山桜又山桜」というにぎやかな句があり、こちらはもう「俳諧」のノリというしかない世界である。次男の静謐を取るか、青畝の饒舌を取るか。好みの問題ではあろうけれど、なかなかの難題だ。ここはひとつ、くだんの山桜自身に解いてもらいたいものである。『花筧』(1991)所収。(清水哲男)


April 3041998

 迂回せぬ蟻天才と思ひけり

                           吉岡翠生

供の頃は、退屈しのぎによく蟻たちの様子を見て過ごした。ついでに、蟻塚に水をぶっかけるという非道なこともした。おおかたは集団で整然と行動する蟻だが、たまに単独行動をするヤツもいた。そんな蟻のことを、私はいまで言う「落ちこぼれ」だと思っていたが、作者は違う。「天才」と直感している。同じ決めつけにせよ、この見方のほうが、よほどいい。暖かい。とかく暗い方向へと傾きがちな私の感覚からすると、まことに羨ましい感性の持ち主と写る。よほど蟻が好きな人なのだろうか、同じ作者にこんな句もある。「追ふてゐるつもりの蟻が追はれをり」。ところで、最近はかがみこんで蟻を見ている子供など、ほとんどいなくなってしまった。たまに見かけると、この子はそれこそ「天才」かなと思ったりしてしまう。なお、季題としての「蟻」は夏に属する。念の為。「俳句文芸」(1997年7月号)所載。(清水哲男)




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