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March 3131998

 かゝる代に生れた上に櫻かな

                           西原文虎

書に「大平楽」とある。こんなに良い世の中に生まれてきて、そのことだけでも幸せなのに、さらにその上に、桜の花まで楽しむことができるとは……。という、まさに大平楽の境地を詠んだ句で、なんともはや羨ましいかぎりである。花見はかくありたい。が、この平成の代に、はたしてこんな心境の人は存在しうるだろうか。などと、すぐにこんなふうな物言いをしてしまう私などは、文虎の時代に生きたとしても、たぶん大平楽にはなれなかっただろう。大平楽を真っ直ぐに表現できるのも、立派な気質であり才能である。作者の文虎は、父親との二代にわたる一茶の愛弟子として有名な人だ。まことに、よき師、よき弟子であったという。一茶は文虎の妻の死去に際して「織かけの縞目にかゝる初袷」と詠み、一茶の終焉に、文虎は「月花のぬしなき門の寒かな」の一句を手向けている。『一茶十哲句集』(1942)所収。(清水哲男)


May 2352012

 袷着て素足つめたき廊下かな

                           森田たま

(あはせ)は冬の綿入れと単衣のあいだの時季に着るもので、もともとは綿入れの綿を抜いたものだったという。夏がめぐってきたから袷を着る。気分は一新するにちがいない。もちろんもう足袋も鬱陶しい時季だから、廊下の板の上を素足でじかにひたひた歩く、そのさわやかな清涼感が伝わってくる。人の身も心もより活動的になる初夏である。足袋や靴下を脱いで素足で廊下を歩き、あるいは下駄をはく気持ち良さは、今さら言うまでもない。人間の素肌がもつ感覚にはすばらしいものがある。ところで、森田たまを知る人は今や少なくなっているだろうが、『もめん随筆』『きもの随筆』『きもの歳時記』などで知られた人の句として、掲句はなるほどいかにもと納得できる。ひところ参議院議員もつとめ、1970年に75歳で亡くなった。「いささかのかびの匂ひや秋袷」という細やかな句もある。また三橋鷹女には「袷着て照る日はかなし曇る日も」がある。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)


October 17102014

 時々は小鳥飛び交ひ雨の森

                           長谷川敏子

が色付き始め季節は小鳥来る秋へと移ろってゆく。日本の秋は野分、秋雨前線、秋黴雨と梅雨時以上に降雨量が多い。その分雨の合間の青空は「梅雨晴間」同様「秋晴れ」となって目に沁みる。その空を渡って大陸からツグミ、ヒワ、ヒヨドリなどの小鳥が群れをなしてやって来る。豊穣の森には赤い木の実や草の実などの餌がいっぱいである。活き活きとした鳥たちが森の雨の間合いを計って飛交い、やがて来る冬を前にこれらの餌を求め飽食の時を過ごしてゆく。他に作者が江戸千家の茶人としての句<亭主として袷の無地と決めてをり><きりもなく茶を点ててをり夏衣><末席も水屋も仕切る青簾>などがある。『糸車』(2007)所収。(藤嶋 務)




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