梶井基次郎の命日。毎年大阪で開かれてきた「檸檬忌」の集いが、今日限りで消滅する。




1998ソスN3ソスソス24ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

March 2431998

 春の夜の汝が呱々の聲いまも新た

                           中村草田男

月は別れの季節でもある。別れていく気持ちはさまざまだが、相手の人生行路どころか、自分のそれさえ定かではないところに、感傷的にならざるをえない大きな根拠がある。「じゃあ、またね」と軽く手を振って別れ、一生会わずじまいになる人もいる。この句は「末弟の門出」連作四句のうちの最初の一句。1943年(昭和18年)、戦時中の作品だ。すなわち、句は末弟の応召に際して詠まれているのであって、今生の惜別を覚悟したものである。末弟とは、作者とは二十一歳も離れた双子の兄弟なので、当然、作者は彼らの生誕の時の様子は覚えているというわけだ。でも、逆にいえば兄弟とはいうものの、実感的には親戚の子くらいの意識だったかもしれない。いつまでも子供だと思っていた末弟たちが、もう兵隊に行く年齢になったのかという感慨が、なんだか嘘のようにも思え、かつての春の夜のおぼろな気分に溶けていく……。決して上手な句ではないけれど、なべて別れの抒情とはこのようなものだろう。それにつけても、こんな理不尽な別れがなくなった時代に、偶然にも生を得た私たちとしては、月並みな言い方だが、その幸福を思わないわけにはいかないのである。『来し方行方』(1947)所収。(清水哲男)


March 2331998

 はなはみないのちのかてとなりにけり

                           森アキ子

者は俳人の森澄雄氏夫人。1988年没。ふらんす堂から出ている森澄雄句集『はなはみな』(1990)は愛妻との交流をモチーフにした一本で、後書きに、こうある。「昭和六十三年八月十七日、妻を喪った。突然の心筋梗塞であった。折悪しく外出中で死目に会えなかったことが返す返すも残念である。巻首の(中略)墓碑銘の一句は、わがために一日分ずつ分けてくれていた薬包みに書きのこしていたものである。……」。というわけで、ここではこれ以上の野暮な解説は余計だろう。そして今日三月二十三日は、森夫妻の結婚記念日である。『はなはみな』には「われら過せし暦日春の夜の烈風」など、その都度の結婚記念の句もいくつか載せられている。ふと思ったのだが、妻を題材にした句だけを集めて一冊の本にできる俳人は、森澄雄以外に誰かいるだろうか。寡聞にして、私は他に知らない。なお、句の季語は四季を通しての「はな」を指しているので、無季に分類しておく。(清水哲男)


March 2231998

 忘れものみな男傘春の雨

                           三輪初子

集を読むと、作者は東京で「チャンピオン」というレストランを夫婦で経営しているようだ。したがって、句の忘れものの男傘は「チャンピオン」に忘れられたものである。降りみ降らずみの雨の日。店の終るころに、また雨が降りはじめた。春の雨ではあるけれど、傘を忘れていった常連の男客たちは、いまごろ傘なしで、ちゃんと家まで戻れたのだろうか。仕方なく、タクシーの順番待ちの長い列にいるのではなかろうか。そんなことが気になるのも、あまやかな春雨のせいかもしれない。それにしても傘を忘れて帰ってしまうのが、みな男ばかりとは……。やはり「女はしっかりしているなア」と、同性の作者としてもしみじみ思ったことである。句はまことにさりげないが、レストランという仕事場からならではの視角が利いている。そして、あからさまに表現はされていないが、句の奥に客との交流の心が生きている。この夜、この店に傘を忘れた男たちは、どう読むだろうか。たぶん「ふふっ」と小さく笑うだけだろう。それでいいのである。『喝采』(1997)所収。(清水哲男)




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