メモ程度の日記をつけている。困るのは春の天気だ。「晴後雨後曇後晴」だなんて。




1998ソスN3ソスソス22ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

March 2231998

 忘れものみな男傘春の雨

                           三輪初子

集を読むと、作者は東京で「チャンピオン」というレストランを夫婦で経営しているようだ。したがって、句の忘れものの男傘は「チャンピオン」に忘れられたものである。降りみ降らずみの雨の日。店の終るころに、また雨が降りはじめた。春の雨ではあるけれど、傘を忘れていった常連の男客たちは、いまごろ傘なしで、ちゃんと家まで戻れたのだろうか。仕方なく、タクシーの順番待ちの長い列にいるのではなかろうか。そんなことが気になるのも、あまやかな春雨のせいかもしれない。それにしても傘を忘れて帰ってしまうのが、みな男ばかりとは……。やはり「女はしっかりしているなア」と、同性の作者としてもしみじみ思ったことである。句はまことにさりげないが、レストランという仕事場からならではの視角が利いている。そして、あからさまに表現はされていないが、句の奥に客との交流の心が生きている。この夜、この店に傘を忘れた男たちは、どう読むだろうか。たぶん「ふふっ」と小さく笑うだけだろう。それでいいのである。『喝采』(1997)所収。(清水哲男)


March 2131998

 前略と書いてより先囀れり

                           岡田史乃

無精なので、私にはこういうことがよく起きる。「前略」と書きはじめたまではよいのだが、さて中身をどう書いたらよいものか。「前略」なのだから、簡潔な用向きだけを書けばすむ。しかし、この簡潔が曲者であって、なかなかまとまらない。思案しているうちに、春の鳥たちの囀(さえず)りが耳に入ってきた。で、しばし、手紙のつづきは思案の外に出てしまうのである。この句では、気に染まぬ相手宛の手紙だったのかもしれない。ところで手紙の作法では、「前略」と書きだした場合、男は「早々」などと締め、女は「かしこ」ないしは「あらあらかしこ」と挨拶して終る。最近まで知らなかったのだが、この「あらあら」とは「粗粗」、つまり「十分に意を尽くせませんで……」という意味なのだそうである。手紙の粗略を詫びているのだ。私はまた、女性らしい間投詞か何かの転用かと思っていた。もっとも、これまでに「かしこ」つきの手紙はもらったことがあるが、残念なことに「あらあらかしこ」はない。当方が、粗略な性質の故であろうか。『ぽつぺん』(1998)所収。(清水哲男)


March 2031998

 鴬やかまどは焔をしみなく

                           橋本多佳子

は春。鴬が鳴いている。竃の火はごうごうと焔をあげている。この他に何を望むことがあろうか。身心ともに充実した感じが、心地よく伝わってくる。日常生活のなかの充足感を、このように具象的にうたった句は意外に少ない。というよりも、たぶん幸福な感情をそのまま直截にうたうこと、それ自体が「文芸」には至難の業なのである。不得意なのだ。だからこそ、この句は際立つ。まぶしいほどだ。敗戦一年前の1944年(昭和19年)の作品。このとき、作者は大阪から奈良西大寺近くの菅原へ疎開していた。夫をなくしてから病気がちであった作者も、ここ菅原の地で健康を回復している。それゆえの掲出句の元気のよさなのだが、そんなことは知らなくても、十分にこの句の幸福感は読者のものとなるはずである。『信濃』(1947)所収。(清水哲男)




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