イラクのアジズ副首相の英語の話し方は素晴らしい。格好をつけずに正確にの手本。




1998ソスN2ソスソス24ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

February 2421998

 筐から筐をとり出すあそび鳥雲に

                           折笠美秋

(はこ)を開けると、元の筐よりも少し小さい筐が入っていて、その筐を開けると、また次の筐が入っている。どこまで開けても筐また筐という遊びの魅力は、どこにあるのだろうか(ロシア人形にも同じ仕掛けのものがある)。筐の中の筐という発想は、同型のものがどんどん小さくなって消えていくわけだから、一種のアニメーション効果をねらったものだ。そしてこの効果は、子供心に喪失のはかなさを魅力的に伝える働きをする。ちょうどそれは、これからの季節、渡り鳥が雲の中に消え去っていくように見える不思議な魅力と重なっているようだと、作者は言うのである。戦争中に学童疎開をテーマにした「父母のこゑ」という歌があって、そこには「山のいただき/雲に鳥」というフレーズが出てくる。鳥ですらも故郷に帰れるのに、子供らは帰れない……。子供たちよ「望み大きく育てよ」と、この歌は遠くはるかな故郷より呼びかける父母の声で終っている。小さな子供たちが雲に入る鳥にさえ憧憬を抱いたとき、その喪失感はいかばかりだったろう。彼らもみな、六十代になった。(清水哲男)


February 2321998

 菜の花の地平や父の肩車

                           成田千空

村暮鳥の「いちめんのなのはな」はつとに有名だが、作者はそんな風景のなかにある。幼かったころ、やはり「いちめんのなのはな」のなかで、父が肩車をしてくれたことを思いだしている。とんでもなく高いところに上ったような気分で、怖くもあり嬉しくもあった。いま眼前の菜の花の様子は昔とちっとも変わってはいないし、父のたくましい肩幅の広さも昔のままにちゃんと覚えている。こうやってあのころと同じように地平に目をやっていると、不意に父が現われて、また肩車をしてくれそうな感じだ。ここで父をしのぶ作者の心理的構造は、野球映画『フィールド・オブ・ドリームス』にも似て、「自然」に触発されている。母をしのぶというときに、多くは彼女の具体像からであるのに比べて、父親はやはり抽象的な存在なのだろう。肩車という行為自体が、非日常的なそれだ。しかりしこうして、なべて男は対象が誰であれ、なんらかのメディアを通すことによってしか想起されない生き物であるようだ。男は、女のようには「存在」できないらしいのである。「俳句」(1997年6月号)所載。(清水哲男)


February 2221998

 うららかや涌き立つ鐘のするが台

                           入江亮太郎

駿河台(東京・神田)の鐘といえば、昔からニコライ堂のそれと決まっている。にぎやかな音でうるさいほどだが、涌(わ)き立つ感じは希望の春に似合っている。作者の母の生地でもあり、この鐘の音には特別な思い入れがあっての一句だろう。「ニコライの鐘や春めく甲賀丁」とも詠んでいる。戦後の流行歌に「青い空さへ小さな谷間……」という歌い出しの「ニコライの鐘」というヒット曲があって、この鐘が全国的に有名だった時代もあった。「うるさいほど」と書いたが、これは私の実感で、受験浪人時代に鐘のすぐそばの駿台予備校(現在とは違う場所にあった)に通っていたことがあり、鳴りはじめると講師の声が聞こえなかった思い出がある。したがって、間違ってもこの句のような心境ではなかったのだが、今となってはやはり懐しい音になった。ひところ騒音扱いされて鳴らさなくなったと新聞で読んだ記憶があるが、今はどうなのだろうか。駿河台界隈には、めったに行かなくなってしまった。『入江亮太郎・小裕句集』(1997)所収。(清水哲男)




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