蟄」隱槭′豌エ闕臥函縺オ縺ョ句

February 1921998

 たたずみてやがてかがみぬ水草生ふ

                           木下夕爾

りかかった小川か池か、ふとのぞくと今年ももう水草が生えてきている。しばらくたたずんで見ていたが、美しさに魅かれていつしかかがみこんで眺めることになった。いかにも早春らしい明るい句だ。私の田園生活は子供のときだけだったから、まさかかがみこむようなことはなかったが、明るい水面を通して水草が揺れている様子を見るのは好きだった。唱歌の「ハルノオガワハサラサラナガル(戦後になって「サラサラいくよ」に改訂)」はフィクションではなく、実感の世界であった。岸辺では猫柳のつぼみがふくらみかけ、幼さの残る青い草たちが風に揺れていた。この季節が訪れると、農家も、そして農家の子もそろそろ忙しくなってくるのだが、それでも本格的な春がそこまで来ている気分は格別だった。夕爾は早稲田に学んだが、家業の薬局を継いで福山市に居住して以来、生涯故郷を離れることはなかった。『遠雷』(1959)所収。(清水哲男)


March 0932007

 城ある町亡き友の町水草生ふ

                           大野林火

ある町は日本の町の代名詞。小さな出城まで入れると日本中城ある町、または城ありし町だ。城があれば堀があり、春になると岸辺に水草(みぐさ)が繁茂し、水面にも浮いている。生活があればそこに友も出来る。どこに住む誰にでもある風景と思い出がこの句には詰まっている。鳥取市と米子市に八年ずつ住んだ。鳥取市は三十二万五千石。市内の真ん中に城山である久松山(きゅうしょうざん)がどっしりと坐っている。備前岡山からお国替えになった池田氏が城主で、池田さんが岡山から連れてきた和菓子屋が母の実家だった。五、六歳の頃から、お堀に毎日通って、タモで泥を掬ってヤゴを捕った。胸まで泥に浸かって捕るものだから、危険だと何度叱られたかわからない。小学校三年生のときそこで初めてクチボソを釣った。生まれて初めての釣果であるクチボソの顔をまだ覚えている。中学と高校は米子。米子には鳥取の支城の跡があり、城址公園で同級生と初めてのデートをした。原洋子さん可愛かったなあ。その後原さんは歯科医になったらしいが、早世されたと聞いた。僕のお堀通いを叱責した父も母も今は亡く、和菓子屋を継いだ叔父も叔母も近年他界した。茫々たる故郷の思い出の中に城山が今も屹立している。平畑静塔『戦後秀句2』(1963・春秋社)所載。(今井 聖)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます