蟄」隱槭′譏・縺ョ譌・縺ョ句

February 1221998

 去勢の猫と去勢せぬ僧春の日に

                           金子兜太

の境内で、猫と僧侶が暖かい春の日差しを浴びている。一見、微笑を誘われるような長閑(のど)かな光景だ。この長閑かさをそのまま詠んでも句になるが、作者はもう一歩踏み込んでいる。長閑かさのレベルで満足せず、生臭さを嗅ぎ出している。これが兜太の詩人の目だ。一つの光景をどのように見るかは、もちろん人さまざまである。自由である。ただし、一般に長閑かさを見る目は、ほとんど何も見ようとはしていない。見ることを拒否することで、心の安定を保とうとする。一種の精神健康法だ。それはそれで、作者も否定はしないだろう。けれども、人には見えてしまうということが起きる。この場合は、自然の摂理という一点において、両者は全く異形の関係にある。理不尽にも生殖を禁じられた猫と、信仰の理から色欲をみずからに禁じた僧侶と……。そして、この取り合わせがこのように表現されたとき、私を含めて多くの読者は思わずも笑ってしまうのだ。だが、この黒い笑いは、いったいどこから来るのであろうか。『詩經國風』(1985)所収。(清水哲男)


April 2642006

 春日遅々男結びの場合は切る

                           池田澄子

語は「春日(はるび)」、「春の日」に分類。春の日光と春の一日を指す二つの場合があるが、掲句では後者である。のどかに長い春の一日だ。すなわち時間はたっぷりあるのだけれど、なにせ「男結び」は固くてほどきにくいから、無駄な努力はやめてハサミでぷっつりと切ることにしている。でも、それが「女結び」だったら、きちんとほどくことも決めている。そういう意味だろう。癇癪を起こすというほどではないのだが、「切る」という気短さと悠々たる「春日遅々」の時間の流れとの対比が絶妙だ。こういう句は、あるいはいまの若者には理解されないかもしれない。彼らの多くは紐は切るものだし、包装紙などは破るものだと心得ているらしいからである。だが、作者や私の若い頃は違った。紐はていねいにほどき、包装紙なども破らずに皺をのばして保存しておき、いまどきの言葉で言えば「再利用(リサイクル)」するように教え込まれていた。だから、物の豊かな時代になってもその習慣から抜けきれず、小さな包みの細い紐一本を切るにさえ勇気を必要としたのである。そうして保管してきた紐や包み紙がいっぱいたまっているのは、間違いなく私の年齢くらいから上の世代の戸棚や引き出しなのだ。したがって掲句を読んで、瞬間的に「ア痛ッ」と思わない世代には、句の含んでいる一種のアイロニーは伝わらないだろう。この決然たる「勇気」の味を賞味できないだろう。「俳句」(2006年5月号)所載。(清水哲男)


July 0572008

 紫陽花の浅黄のまゝの月夜かな

                           鈴木花蓑

黄色は、古くは「黄色の浅きを言へるなり」(『玉勝間』)ということだが、浅葱色とも書いて、薄い藍色を表すようになった。今が盛りの紫陽花の、あの水よりも水の色である滴る青は、生花の色というのが不思議な気さえしてくる。梅雨の晴れ間、月の光に紫陽花の毬が浮かんでいる。赤みがかった夏の月からとどく光が、ぼんやりと湿った庭全体を映し出して、山梔子の白ほどではないけれど、その青が闇に沈まずにいるのだろう。紫陽花と一緒になんとなく雨を待っている、しっとりとした夜である。初めてこの句を「ホトトギス雑詠撰集・夏の部」で読んだ時は、あさぎ、とひらがなになっていて、頭の中で、浅葱、と思ったのだったが、こうして、浅黄、となっていると、黄と月が微妙に呼び合って、ふとまだ色づく前の白っぽい色を薄い黄色と詠んだのかとも思った。が、じっと思い浮かべると、やはり紫陽花らしい青ではないかと思うのだった。代表句とされる〈大いなる春日の翼垂れてあり〉の句も印象深い。「新日本大歳時記・夏」(2000・講談社)所載。(今井肖子)


February 2222009

 春日や往来映ゆる海のへり

                           小杉余子

んなにすぐれた句に出会っても、読んですぐには、いったい自分がその句の、どのような点に感動したのかが、明確にはわかりません。その時の印象としては、ただひどく気になって仕方がない、というだけのことなのです。今日の句を読んだときにも、どうしてこの句が新鮮に感じたのかが、しばらくわかりませんでした。とにかく鮮やかなものが、こちらに押し寄せてきたのです。幾度も読み返しているうちに、自分の中の受け止め方が、少しずつ見えてきました。それはおそらく、視点が、陸地から海へ向かっているのではなく、逆方向に、つまりは海のほうから陸地を見下ろしているように感じたからなのです。その陸地は、断崖絶壁の手の届かないところにあるのではなく、手を伸ばせばすぐに触れられそうな、人々がいくらでも歩いている「往来」だというのです。「映ゆる」は、海の照り返しが光となって、往来を行き来する人々の顔を下から照らしているということでしょうか。人々の日常の、すぐ隣に非日常の海が迫っている。生きるとはそのようなことなのだと、美しく、言われているようです。『角川俳句大歳時記 春』(2006・角川書店)所載。(松下育男)


April 0442014

 春没日マウンドの高み踏みて帰る

                           波多野爽波

ウンドは、上から見ると円形で、土を盛って周囲のグラウンドよりも高くなっている。真っ赤な夕日を浴びながら、マウンドを踏んで、帰路についている。この句、下五の「踏みて帰る」が六音の字余りになり、緊迫した調べになっている。あと、「タカミフミテ」の部分、「ミ」の音が反復され、一句の後半、バウンドするような感覚上の効果がある。韻律の上から、帰宅する心躍りが伝わって来る。『湯呑』(昭和56年)所収。(中岡毅雄)


March 0232016

 をさな児の泪のあとや春日暮る

                           那珂太郎

児が親に叱られたか、友だちと喧嘩したかして泣いたあと、しばしして泪が乾いてきた時の「泪のあと」であろう。よくそういう場に出くわしたことがある。当人はまだ辛いだろうけれど、他者から見れば、それは微笑ましくも可愛いものである。ようやく長くなってきた春の一日がもう暮れようとしているのに、「泪のあと」が夕日にテカテカ光っているのかもしれない。そんな光景。太郎は晩年十年余り、眞鍋呉夫や三好豊一郎、司修らとさかんに俳句の席にのぞんでいた。呉夫らとよく歌仙を巻いた沼津の大中寺には、「万緑の緑とりどりに緑なる」の句碑が建っている。太郎らしく韻を連ねている句である。掲出句は1941年(19歳。東京帝大入学)の作。歿後に刊行された『那珂太郎はかた随筆集』(2015)に、「句抄」として1941年に詠まれた56句が収められている。他に「猫の目の硝子にうつる夜寒かな」がある。(八木忠栄)




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