旧・紀元節。「雲に聳ゆる高千穂の……」が、紀元節の歌でしたっけ。もう忘れた。




1998ソスN2ソスソス11ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

February 1121998

 受験期の教師集まりやすきかな

                           森田 峠

師の側から受験期を詠んだ句。作者は高校教諭(国語科担当)であったから、この時期は多忙だったろう。教え子の進学希望に際しては、いろいろな科目の教師たちにも相談をしなければならない。試験が終ったら終ったで、生徒たちの出来が気になる。何かというと、集まることが多くなる。職員室は、受験一色だ。職員室ももちろん一つの社会であるから、さまざまな人間関係が渦巻いている。それが受験という一大イベントの季節をむかえると、日頃の人間関係は良くも悪くも「水入り」となる。否も応もなくなってしまう。そんな教師たちのひそやかなドラマを、生徒は知らない。知らないから、やがて「賀状来ずなりし教へ子今いづこ」などということになりがちだ。私もこの正月に、恩師から先に賀状をいただくという大失態をやらかしてしまった。『避暑散歩』(1973)所収。(清水哲男)


February 1021998

 紅梅や見ぬ恋作る玉すだれ

                           松尾芭蕉

意としては、こうだ。とある家の簾の下りた部屋の前庭に、紅い梅の花が咲き匂っている。その美しさはすだれの奥の女性の姿を彷彿とさせ、いまだ見ぬその人への恋心がつのってくる……。と、さながら恋に恋する少年のような心持ちを詠んでいるのだが、このときの芭蕉は既に四十六歳。もっとも「反古の中から出てきた句」だとわざわざ添え書きしてあるから、本当にずっと若いときの句かもしれないし、あるいは照れ隠しなのかもしれない。キーワードは「玉すだれ」で、簾の美称である。実用的にはいまどきの上等なカーテンであるが、心理的には恋の遮蔽物だったことを知らないと、この句はわからない。古くから、和歌では恋しい人を隔てるものとして詠みつがれてきている。間違っても、芸人の使う「ナンキン玉すだれ」ではありませんよ(笑)。なお、紅梅を詠んだ芭蕉の句はこの一句だけ。芭蕉にしてはあまり出来のよくない作だとは思うけれど、その意味で珍重されてきているようだ。なお、季語は「紅梅」。対して「白梅」という季語はない。「白梅」が「梅」一般という季語に吸収され「紅梅」が独立したのは、その艶やかさもさることながら、「紅梅」のいささかの遅咲きに着目した古人の繊細な時間感覚からなのだろう。(清水哲男)


February 0921998

 うすぐもり都のすみれ咲きにけり

                           室生犀星

見事ッ。そんな声をかけたくなるほどに美しい句だ。前書に「澄江堂に」とあるから、芥川龍之介に宛てたものである。田端付近の庭園か土手で、咲きはじめの菫をみつけたのだろう。いつもの年よりよほど早咲きなので、早速龍之介に一筆書いて知らせたというわけだ。意外に早い菫の開花に、作者はもちろん興奮を覚えているのだが、そこはそれ抒情詩の達人犀星だけあって、巧みにおのれの興奮ぶりを隠している。彼の俳句は余技ではあるけれど、興奮をそのまま伝えるのが野暮なことは百も承知している。実景ではあろうが「うすぐもり」と出たのは、そのためである。これで作者は粋になった。つづいて「都のすみれ」で、花自体をも粋に演出している。ちっぽけな花をクローズアップしてみせるという粋。さりげないようでいて、この句ではそうした作者の工夫が絶妙な隠し味になっている。受け取った芥川は、すぐに隠し味がわかっただろう。にやり、としたかもしれない。独自の抒情を張って生きるのは、なかなか大変なのである。(清水哲男)




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