February 021998
炬燵出て歩いてゆけば嵐山
波多野爽波
爽波は京都に暮らしていたから、そのまんまの句だ。「写生の世界は自由闊達の世界である」と言っていただけあって、闊達の極地ここにありという句境である。名勝嵐山には気の毒だが、ここで嵐山は炬燵並みに扱われている。そういえば、嵐山の姿は炬燵に似ていなくもないなと、この句を読んだ途端に思った。京都という観光地に六年ほど住んだ経験からすれば、嵐山なんぞは陰気で凡なる山という印象である。とくに冬場は人出もないし、嵐山は素顔をさらしてふてくされているようにしか見えない。観光地で観光業とは無縁に暮らしていると、名勝も単なる平凡な風景の一齣でしかないのだ。喧伝されている美しさや名称など、生活の場では意識の外にある。その一齣をとらえて、作者は「ほお、これが嵐山か」と、あらためて言ってはみたものの、それ以上には何も言う気になっていない。闊達とは、深く追及しないでもよいという決意の世界でもある。そこが面白い。『骰子』(1986)所収。(清水哲男)
February 011998
塗椀に割つて重しよ寒卵
石川桂郎
なぜ「寒卵」という季語があるのでしょうか。卵などは四季を通じてあるもので、特別に冬の卵が珍しいわけではない。いまの人は、誰もがそう思っていると思います。しかし、もちろん季語には季語となるそれなりの根拠があったわけです。まったく風流とは関係がないのですが、こういうことです。本来、鶏の産卵期は冬であり、とうぜんこの時期の卵は値段も下がったので、庶民の冬場の栄養補給源として格好な食物でした。だから、冬の卵は特別視されていたということなのです。……という、見事に散文的な理由。ところで、作者の観察眼はなかなか細かいですね。たしかに同じ卵でも、瀬戸物の茶碗と塗椀とでは、割って落としたときの「重さ」が違うような気がします。すなわち、この句の「寒卵」は「塗椀」を得たことによって、はじめて風流な卵になれたというわけなのです。(清水哲男)
January 311998
映画出て火事のポスター見て立てり
高浜虚子
映画館を出た後は、しばらくいま見てきたばかりの映画の余韻が残っている。と、街角に「火の用心」を呼びかけるポスターが貼ってあった。見ているうちに、作者の意識はだんだん現実に引き戻されていく。そんな状況の句だ。季語は「火事」である。この季語についての虚子自身の説明が、岩波文庫『俳句への道』に載っているので、引用しておく。「『火事』というものは季題ではあるが、他の季題に較べると季感が薄い、ということは言えますね。一体火事という季題は、我らがきめたものですし、火事はいつでもあるが、殊に冬に多いから、というので冬の季題にしたのですが、季感は従来のものよりも歴史的に薄いとはいえる。だからこれは季感のない句であるという風に解釈する人があるかも知れぬ。(中略)そういう人は季題趣味を嫌がっている人ではないですか。だが俳句は季題の文学である。……」。つまり、虚子は自分(我ら)で「火事」を冬の季題にし、そう決めたのだから、この句を無季句などとは呼ばせないと力み返っている。この自信満々が、虚子という文学者のパワーであった。(清水哲男)
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