二月。私の生まれ月。若き日の北村太郎が「二月は罐をける小さな靴」と書いた月。




1998ソスN2ソスソス1ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

February 0121998

 塗椀に割つて重しよ寒卵

                           石川桂郎

ぜ「寒卵」という季語があるのでしょうか。卵などは四季を通じてあるもので、特別に冬の卵が珍しいわけではない。いまの人は、誰もがそう思っていると思います。しかし、もちろん季語には季語となるそれなりの根拠があったわけです。まったく風流とは関係がないのですが、こういうことです。本来、鶏の産卵期は冬であり、とうぜんこの時期の卵は値段も下がったので、庶民の冬場の栄養補給源として格好な食物でした。だから、冬の卵は特別視されていたということなのです。……という、見事に散文的な理由。ところで、作者の観察眼はなかなか細かいですね。たしかに同じ卵でも、瀬戸物の茶碗と塗椀とでは、割って落としたときの「重さ」が違うような気がします。すなわち、この句の「寒卵」は「塗椀」を得たことによって、はじめて風流な卵になれたというわけなのです。(清水哲男)


January 3111998

 映画出て火事のポスター見て立てり

                           高浜虚子

画館を出た後は、しばらくいま見てきたばかりの映画の余韻が残っている。と、街角に「火の用心」を呼びかけるポスターが貼ってあった。見ているうちに、作者の意識はだんだん現実に引き戻されていく。そんな状況の句だ。季語は「火事」である。この季語についての虚子自身の説明が、岩波文庫『俳句への道』に載っているので、引用しておく。「『火事』というものは季題ではあるが、他の季題に較べると季感が薄い、ということは言えますね。一体火事という季題は、我らがきめたものですし、火事はいつでもあるが、殊に冬に多いから、というので冬の季題にしたのですが、季感は従来のものよりも歴史的に薄いとはいえる。だからこれは季感のない句であるという風に解釈する人があるかも知れぬ。(中略)そういう人は季題趣味を嫌がっている人ではないですか。だが俳句は季題の文学である。……」。つまり、虚子は自分(我ら)で「火事」を冬の季題にし、そう決めたのだから、この句を無季句などとは呼ばせないと力み返っている。この自信満々が、虚子という文学者のパワーであった。(清水哲男)


January 3011998

 前略と激しく雪の降りはじむ

                           嵩 文彦

(だけ)文彦は、生まれも育ちも北海道で、現在は札幌在住の詩人。医師。この発想は、雪の多い地方の人ならではのものだろう。「雪は天からの手紙です」と言ったのは、たしかフランスの詩人だった。が、散文的な大雪はドカンと挨拶なしに「前略」で降ってくるというわけだ。それにしても「前略」とは言いえて妙。俳諧的なおかしみが生きている。自由詩では、なかなかこんな具合には書けない。伝統定型の強みだ。しかしこの魅力は、自由詩を書く人間にとっては、大いに「毒」である。最近、この「毒」にいかれた詩人がかなり増えてきた。もとより私もその一人だが、解毒剤はあるのだろうか。たぶん、安直なそれはないような気がする。もうこうなったら、「皿」までいっしょに食ってしまおうと覚悟を決めた。しからば、その先に何があるのか。それは、誰にもわからない。『実朝』(1998)所収。(清水哲男)




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