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1998ソスN1ソスソス25ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

January 2511998

 この雪に昨日はありし声音かな

                           前田普羅

訣の句。前書に「昭和十八年一月二十三日夕妻とき死す、二十四日朝」とある。ときに普羅五十九歳。死と雪といえば、なんといっても宮沢賢治の「永訣の朝」が有名だ。「けふのうちに/とほくへいつてしまふわたくしのいもうとよ/みぞれがふつておもてはへんにあかるいのだ……」。賢治は二十七歳だった。賢治の詩がパセティックなのに比して、普羅の句は静謐な心境を写している。別れた対象の違いもあるが、やはり年輪から来る覚悟の差であろう。「家にも盛りがある」と書いたのは現代詩人の以倉紘平だが、普羅の境涯は妻の死を契機にするようにして、雪崩れのように下降していった。二年後には富山空襲で一切を失い、老いの身に漂泊の日々がつづくことになる。もとより誰にも自分を待ち受けている運命はわからぬが、家人の「声音」や物音が聞こえる状態にあれば、それをもって、まずは幸福な時期と言うべきなのであろう。『春寒浅間山』(1946)所収。(清水哲男)


January 2411998

 踏切の向かふにあれば冬の顔

                           中村菊一郎

切で遮断機が上がるのを待つ。こういうときは所在ないもので、なんとなく向こう側で待つ人たちの顔を眺めていたりする。みんな寒そうな顔をしている。ただそれだけのことであるが、作者のまなざしはなかなかに鋭い。待っている人たちは所在がないのだから、ほとんどの顔は無防備なわけで、寒さの中で素直に寒い表情になってしまっている。だから、みんな同じような表情をしている。遮断機が上がって歩きだせば、それぞれの人がそれぞれの表情を再び取り戻すだろう。さりげない日常の光景をこのようにつかまえるのは、意外に難しい。この句にはどこかとぼけた味もあって、天性とでもいうべき「俳句的センス」を感じさせられる。こんな視線で町を歩ける人は、きっと楽しいでしょうね。「俳句研究年鑑・1994年版」所載。(清水哲男)


January 2311998

 夜咄は重慶爆撃寝るとする

                           鈴木六林男

慶は、中国四川省の四川盆地にある都市。日中戦争のとき、ここで国民政府が坑日戦を展開した。作者は懇親旅行の宿にでもあるのだろう。数人がくつろいだ気分でとりとめのない話をしているうちに、先輩が軍隊での手柄話をはじめた。もう何度も聞かされた話である。「またはじまったか」とうんざりすると同時に、作者は反戦思想の持ち主であるだけに、不快感も覚えている。こうした場面に遭遇することは、誰にでもよくあることで、飲み屋での話にもこの種のものが多くて閉口する。ということは、逆に自分が話をするときにも注意しなければならないわけで、自慢しているつもりはなくても、同席の誰かは不愉快になっているかもしれないのだ。とくに、自分の世代だけにしか通用しない内幕物めいた話は要注意。私の世代だと、若い人の前では「六十年安保」の話題は禁物だと思っている。それでも、たまに調子に乗ってしまうときがあって、後で「しまった」と反省することしきりだ……。(清水哲男)




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