デジカメを持っていると何でも撮りたくなる。ただ液晶画面が日向に弱いのは困る。




1998ソスN1ソスソス22ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

January 2211998

 たいくつな白樺佇てり雪の原

                           三輪初子

句の専門家ではないのに、たまに句集を送っていただくことがある。ありがたいことだ。三輪さんの本は昨日届いていて、書名を見た途端に「あっ」と思った。私が学生の頃に出した第一詩集のそれと同じだったからである。もちろん命名の由来は違うのだが、大いにこの見知らぬ作者に親近感がわいたことは事実だ。で、読みはじめて、再び「あっ」と思ったのが、この句に出会ったときだった。「たいくつな白樺」とあったからだ。前書によれば信州は戸隠での作品のようだが、信州は白樺の多いところである。群生している。白状すると、冬の信州には行ったことはないのだけれど、この情景の感じはよくわかる。夏でも、私にとっては「たいくつな白樺」なのだから、冬野ではもっと退屈に見えるだろう。銀世界に、ただ真っ直ぐな棒がぐさぐさと突き刺さっているに過ぎない……。白樺を退屈と感じる人が、私以外にもいることを知っただけでも、この句の価値は大なるものがある。白樺好きの人には「ごめんなさい」であるが。『喝采』(1997)所収。(清水哲男)


January 2111998

 鶴を見る洟垂小僧馬車の上

                           野見山朱鳥

楚な鶴の姿と洟垂小僧(はなたれこぞう)の対比が面白い。洟垂小僧とはいっても、実際に洟を垂らしているのではなく、ここでは「悪ガキ」の意味だ。病気がちだった作者の句には暗い雰囲気のものが多いが、珍しく明るい句である。よほど体調がよかったのだろうか。とはいっても、ここにもやはり病者のまなざしがあり、馬車に揺られながら神妙な顔つきで鶴を見ている洟垂小僧の元気に、朱鳥は限りない羨望の念を覚えているのである。そしてこの馬車だが、シャーロック・ホームズが乗っていたような立派な代物ではない。木材や薪炭などを運搬するためのそれだ。私にも覚えがあるが、そんな馬車が通りかかると、すかさず我ら悪ガキたちは飛び乗って遊んだものである。悪路を行く馬車に乗ると、揺れの激しさに頭がジンジンした。『運命』(1962)所収。(清水哲男)


January 2011998

 冬苺廉ければ一家にて賞す

                           成瀬櫻桃子

書に「一九五六年一月十八日、長女美菜子誕生」とある。敗戦後まだ十年少々の頃だから、赤ちゃん誕生のお祝いもささやかなものであった。廉価だとはあるけれど、この当時の冬苺(温室物ではない)だから、お祝い物という観点からすれば安かったという意味だろう。まことに微笑ましい情景である。が、人生には、普通に生きているつもりの一市民が夢想だにもしない現実が待ち構えていたりする。私が成瀬櫻桃子の句を読むのがつらくなったのは、次の句を知ってからのことであった。こういう句だ。「地に落ちぬででむし神を疑ひて」。前書には「長女美菜子ダウン氏症と診断さる」とある……。『風色』(1972)所収。(清水哲男)




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