大寒。都心でも氷点下を記録。モスクワからは零下10度で「春みたい」という便り。




1998ソスN1ソスソス20ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

January 2011998

 冬苺廉ければ一家にて賞す

                           成瀬櫻桃子

書に「一九五六年一月十八日、長女美菜子誕生」とある。敗戦後まだ十年少々の頃だから、赤ちゃん誕生のお祝いもささやかなものであった。廉価だとはあるけれど、この当時の冬苺(温室物ではない)だから、お祝い物という観点からすれば安かったという意味だろう。まことに微笑ましい情景である。が、人生には、普通に生きているつもりの一市民が夢想だにもしない現実が待ち構えていたりする。私が成瀬櫻桃子の句を読むのがつらくなったのは、次の句を知ってからのことであった。こういう句だ。「地に落ちぬででむし神を疑ひて」。前書には「長女美菜子ダウン氏症と診断さる」とある……。『風色』(1972)所収。(清水哲男)


January 1911998

 膝掛と天眼鏡と広辞苑

                           京極杞陽

輩の読者は苦笑されるのではあるまいか。1975(昭和50)年の作だから、杞陽は六十代後半だった。私はまだなんとか五十代だけれど、膝掛はともかくとして天眼鏡は手放せないし、広辞苑も時々引いている。広辞苑とはかぎらないが、辞書の文字の小さいのにはマイってしまう。もっとマイるのは、緊急に辞書を引く必要が生じたときに、天眼鏡が見当たらないことだ。さっきまでここにあったのにと、焦れば焦るほどに発見が遅れてしまう。ときには稼働中のモニターに向けて天眼鏡を必要とするから、マイったではすまないこともある。そんなわけで、この句の切実さはよくわかる。同時に、活動性には無頓着になってしまった年齢の人々の、諦めの果ての呑気な境地みたいなものも……。誰も、自分の年齢以上の老いを体験することはできない。書きながら、思い出した。数年前に放送局のエレベーターで串田孫一さんにお会いして、思わずも「お元気そうですね」と声をかけたことがある。降りてからの串田さんのご挨拶は、こうだった。「君ねえ、七十を過ぎた人間が元気そうだと言われても、なんと返事をしていいのか、わからないじゃないか」。遺句集『さめぬなり』(1982)所収。(清水哲男)


January 1811998

 崩れゆくああ東京の雪だるま

                           八木忠栄

の冬は例外だけれど、東京は雪の少ない土地だ。たまに雪が降ると喜んで雪だるまをつくったりするが、作者のような雪国育ちからすると、これがとても貧弱なシロモノである。だるまが小さいのは仕方がないとして、あちこちに泥がついており、はじめから汚くも惨めなのだ。そんなせっかくの苦心の雪だるまも、あっという間に溶けてしまう。いや、崩れてしまう。まさに「ああ」としか言いようはあるまい。ところで、今度の大雪では、真白で立派な雪だるまがあちこちに立てられた。ポリバケツの帽子なんかをかぶって、いまだに崩れないでいる。できれは木炭の目や口がほしいところだが、さすがにそんな古典的な雪だるまは見かけなかった。先日、デュッセルドルフ近くの町から来日した女性と話していたら、ドイツでも昔は目や口に木炭を使ったそうである。ただし、鼻はニンジン。日本では、食べられる物を子供の遊びに使うことはなかったと思う。(清水哲男)




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