今朝の東京は雪催いの冷たい雨。仕事が休みとなると、こんな悪い天気も悪くない。




1998ソスN1ソスソス18ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

January 1811998

 崩れゆくああ東京の雪だるま

                           八木忠栄

の冬は例外だけれど、東京は雪の少ない土地だ。たまに雪が降ると喜んで雪だるまをつくったりするが、作者のような雪国育ちからすると、これがとても貧弱なシロモノである。だるまが小さいのは仕方がないとして、あちこちに泥がついており、はじめから汚くも惨めなのだ。そんなせっかくの苦心の雪だるまも、あっという間に溶けてしまう。いや、崩れてしまう。まさに「ああ」としか言いようはあるまい。ところで、今度の大雪では、真白で立派な雪だるまがあちこちに立てられた。ポリバケツの帽子なんかをかぶって、いまだに崩れないでいる。できれは木炭の目や口がほしいところだが、さすがにそんな古典的な雪だるまは見かけなかった。先日、デュッセルドルフ近くの町から来日した女性と話していたら、ドイツでも昔は目や口に木炭を使ったそうである。ただし、鼻はニンジン。日本では、食べられる物を子供の遊びに使うことはなかったと思う。(清水哲男)


January 1711998

 風花や蹤き来てそれし一少女

                           角川源義

れていながら、風に乗って雪片が舞い降りてくることがある。これが、風花。小津安二郎の映画のタイトルにもなったが、美しい言葉だ。風花が舞うときは、かなり冷え込む。作者は、おそらく見通しのよい田舎道を歩いているのだろう。人通りもほとんどなく、少し以前から見知らぬ少女がひとり、あたかも自分につき従うかのように背後を歩いてくる。そのことで、実は作者はなんとなく暖かい心持ちになっているのだ。が、しばらくして別れ道にさしかかると、少女はついと別の道にそれてしまった。とたんに、作者の胸の内から暖かいものがすうっと消えていく……。がっかりしている。目をやると、別の道を行く少女の姿はまだ見えており、その小さな姿にしきりと風花が舞い降りているという情景だ。抒情的小品の味わい。(清水哲男)


January 1611998

 酒のめばいとゞ寝られぬ夜の雪

                           松尾芭蕉

書に「深川雪夜」とある。芭蕉四十三歳。芭蕉はサラリーマンではなかったから、大雪になっても、翌朝の通勤を心配することはない。だが、酒を飲んでも、飲むほどに寝る気にはなれないというのだ。降雪による興奮で、かえって頭が冴えてくるからである。「雪見酒」のような呑気な酒にはならない。つまり、この句には人間がいかにデリケートに自然と交感する存在であるかが、具体的に描かれている。台風などのときにも、こういうことはよく起きる。首都圏は、ひさかたぶりの大雪だ。自然の成り行きに逆らって出勤するサラリーマンたちのストレスは、いかばかりであろうか。かく言う私も、例外ではない。諸兄姉の安全を祈る。『勧進牒』(貞享三年・1687)所収。(清水哲男)




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