起床しておそるおそる窓を開けると既に銀世界。「放送マンに休みなし」か…SIGH




1998ソスN1ソスソス15ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

January 1511998

 芝居見に妻出してやる女正月

                           志摩芳次郎

正月(「おんなしょうがつ」、この句では「めしょうがつ」と読む)は、もはや死語に近い。昔の女性は松の内は多忙だったため、一月十五日から年始の回礼をはじめたので、この日を女正月といった。女たちは着飾って、芝居見物などにも出かけたようだ。句の亭主の側は「出してやる」という意識なので、鷹揚な感じもあるが、いささか不機嫌……。とにかく、女性が芝居を見にいくだけでも一騒動という時代があったのである。漱石の『吾輩は猫である』にも、女正月ではないが、こんな件りがある。「細君が御歳暮の代りに摂津大掾(「せっつだいじょう」・義太夫語り)を聞かしてくれろというから、連れて行ってやらん事もないが今日の語り物は何だと聞いたら、細君が新聞を参考して鰻谷だというのさ。鰻谷は嫌いだから今日はよそうとその日はやめにした。翌日になると細君がまた新聞を持って来て今日は堀川だからいいでしょうという。……」。明治の頃は、主婦が一人で義太夫を聞きにも行けなかったのだから、句の「出してやる」は、明治期よりも多少は進歩的な亭主のセリフだと言えなくもない。それはそれとして、いまどきこんな句を作ったとしたら、作者はタダではすまないだろう。(清水哲男)


January 1411998

 疲れ脱ぐオーバー釦飛ばしけり

                           大串 章

い最近、私にもこういうことがあった。寒い夜を疲れて帰ってきて、コートを脱ぐ手がもどかしく、ついついやってしまったのである。もはや我が家に着いたのだから、そんなに焦ることもあるまいにと、後で苦笑した。けれども、はやく暖かい居間に入りたいという気持ちからすると、釦(ぼたん)一個が跳ね飛ぶなんぞは「メじゃない」ことも確かだ。このとき、切れ字の「けり」は「あーあ」と翻訳するのである。ところで、私たちは日本人だから、このようにオーバー・コートは玄関の上がり框で脱ぐ。客の場合には、玄関に入る前に脱ぐのが礼儀だ。そこでわいてきた疑問なのだが、靴のままで室内に入っていける国の人たちは、とくに自宅では、一般的にどこらへんでコートを脱ぐのだろうか。玄関を開ける前に脱ぐのが正解の気もするが、どなたかご教示いただければ幸甚である。『朝の舟』(1978)所収。(清水哲男)

[カリフォルニア在住の三浦勇氏よりメール]アメリカでは一般的に玄関というかドアを開けて家の中へ入った時点でコート等を脱ぎます。そこで迎えに出たホストがコートを預かり、近くのクロゼット内の衣紋掛けにかけます。パーティーなど多数の人が集まる場合で、クロゼットのスペースが足りない時は、寝室を解放して、コートはベッドの上に積み重ねます。


January 1311998

 湯豆腐やいのちのはてのうすあかり

                           久保田万太郎

逝する五週間前に、銀座百店会の忘年句会で書かれた句。したがって、辞世の気持ちが詠みこまれているとする解釈が多い。万太郎は妻にも子にも先立たれており、孤独な晩年であった。そういうことを知らなくても、この句には人生の寂寥感が漂っている。読者としても、年齢を重ねるにつれて、だんだん淋しさが色濃く伝わってくる句だ。読者の感覚のなかで、この句はじわじわと成長しつづけるのである。豆腐の白、湯気の白。その微妙な色合いの果てに、死後のうすあかりが見えてくる……。湯豆腐を前にすると、いつもこの句を思いだす。そのたびに、自分の年輪に思いがいたる。けだし「名句」というべきであろう。『流寓抄以後』(1963)所収。(清水哲男)




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