大寒波来襲。東京にも降雪予報。今夜飲む店は地下だから「雪見酒」とはいかない。




1998ソスN1ソスソス8ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

January 0811998

 なんとなく松過ぎ福神漬甘き

                           岡本 眸

せち料理や餅に飽きた頃のカレーライスは、新鮮な味がする。添えられた福神漬に、作者はこんなに甘い味だったのかと、感じ入った。普段、福神漬をことさらに味わって食べることはなかなかないけれど、この場合、作者はたしかに味わっているのである。そこで、なんとなく松の過ぎていった感じが、読者にもなんとなくわかるような気がしてきて微笑ましい。福神漬はむろん七福神を連想させる効果もあるわけで、作者に残るいささかの正月気分とも呼応している。それにしても、ありがたい七福神を漬物にしてしまったという「福神漬」の命名は大胆不敵だ。ちなみに福神漬の中身は、ダイコン、ナス、レンコン、ナタマメ、ウリ、シイタケ、シソの七種類。明治十八年(1885)創製の東京名産である。『冬』(1976)所収。(清水哲男)


January 0711998

 掃きならし門松とりし跡と見ゆ

                           亀井絲游

松を取った跡とおぼしきあたりの土が、きれいに掃き清められている。その家の主人の人柄が思われるのと同時に、また長丁場となる今年への作者の緊張感も伝わってくる。正月の行事は、地方によって日取りが異なるので厄介だ。門松を取るのは、関東では六日、関西では十四日とされてきた。「仙台の四日門松」といって、江戸期の仙台では松の内は四日までだった。が、実際はどうなのだろうか。商店街などでは、もっと遅くなってから取るところもありそうだ。不用になった門松は、小正月に「どんどの火」で焼いたものだが、いまの都会では焚火もままならない。それでも、私の住む地域では、校庭などを使ってどんど焼きをする町内会もある。ただし、ダイオキシン警戒から、プラスチック製の飾り物は燃さないようにと呼びかけている。(清水哲男)


January 0611998

 十二月あのひと刺しに汽車で行く

                           穴井 太

二月は極月とも言い、文字通りおし詰った一年の終りである。もう、あとがない。その切羽詰った時期に刺しに行かなければならない「あのひと」とは誰か? もちろん親兄弟や友人ではあるまい。ここは男性にとっての恋人か愛人か、はたまた人妻か? 「ひと」は「女(ひと)」。ヤクザっぽい出入りではなく色恋沙汰ととるべきだろう。道ならぬそれだとすればいっそう芝居がかってくる。ひとを刺すという物騒な行動が、汽車という幾分おっとりしてのどかな手段によっているのは、いかにも滑稽味があり、俳味さえ感じられて嫌味のない句となった。ベンツでも自転車でもピンとこない。句集『土語』(1971)所収。「吉良常と名づけし鶏は孤独らし」という名句を持つ骨太の作者は、97年の12月29日、71歳で亡くなった。(八木忠栄)




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